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2021 年 9 月下旬

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20 (月)

%1 敬老の日

ハッピーマンデー。 いい天気。 暑い日。

この前コンビニで 198 円で買ったトマトを夕食で時々 1 個ずつ消費しているが、4 個入りだと思い込んでいたところ、3 個目を消費したところで 5 個入りだったことに気づいたww

鹿児島空港で買った、鹿児島ラーメン五郎家の生麺バージョンを作って食べてみた。 ネギが付属。 スープが黒い? のかわかんないけど色が濃ゆい。 醤油系? 調べてみると醤油系豚骨スープというのかな、鹿児島ラーメンとしては少し珍しいタイプかも知れないが、まぁ鹿児島ラーメンの定義は曖昧なので... 味はまぁ悪くはなかったが、ちょっと好みとは違うかなぁ。 たまに食べるなら悪くはないか。 あとやっぱり肉を足して食べたい。

スクーターは前オーナーのカスタムで遠心クラッチの重りが純正じゃないという話だったと思うけど、それでスピードメーター 16〜19km/h ぐらいでクラッチが切れる。 NC750X DCT ではだいたい 15km/h 弱ぐらいでクラッチが切れていそうなので、それよりさらに速い。 ま、それはいいとして、5km/h ぐらいのノロノロ運転時に、ちょっとアクセルを開けては閉じてしばらく転がす、という操作には両者に近いものがありそう。 スクーターは乾式クラッチなのでできるだけクラッチが滑り続けないように意識してはいるが、大きくは違わないんじゃないかな。 ギヤ比・減速比の関係でクラッチを滑らせずにノロノロ運転をこなしてしまう原付 (ジョルカブ) やバイク (GSR250S) や車 (iQ) とはちょっと違った運転操作だと思う。

PC のアクセスランプって NVMe でもちゃんと光るんだな。 今日気づいた。 転送が速いものが多いからか、ATA みたいに転送中だけ光るというよりは、アクセスすると一定時間間隔で点滅するような感じに見える。 Serial ATA の SSD から NVMe にかえたから、光っている時間は長くなったように感じる。 まぁー、ATA の頃はチャネルごとにマスターとスレーブがあって、片方が転送中はもう片方は使えないみたいな制約があり、光学ドライブの使用頻度も高くて、アクセスランプの光り方で転送状況や光学ドライブのトラブルを把握するみたいなところがなくはなかったが、Serial ATA になってそんな面倒な制約は消え去り、さらに SSD ともなれば点灯時間が短くなって、アクセスランプがない PC も増えてきて、それで NVMe にアクセスランプなんてあるわけないと思い込んでいた。

%2 リミット

テレビドラマ『リミット』。 10 話。 新たな絞首殺人未遂、前の殺人疑惑は実は事故、だけど嘘を重ねて全員やっちまおうみたいな、そんな流れ。 そして次のけが人が発生。 学校・警察側ではせっかく転落場所は見つかったのに、現場は生存者がずいぶん減りそうな流れ。 ちょっと違和感があるのは、あれだけ空撮映像が報道されるようになっても、当人達がヘリコプターの音に気づいていないところだ。 どんなエンディングになるんだろう? そもそも数十人の死者が出ているわけでずいぶん暗いエンディングになるのか? だんだん楽しみになってきた。

教師役の窪田正孝を見ているとテレビドラマ版のデスノートを思い出す。 この人がデスノートで演じていた月は、いつも通りの生活を続けながら裏では死神のノートを使用して殺人を繰り返す凶悪犯だ。 このドラマの教師はそれと比べるとずいぶんと普通な感じだが、序盤、風邪でたまたま引率に行かなかった後、ちょっとした勘違いにより事故の発覚が遅れることになり、それを校長に口止めされたあたりで表と裏の顔が生まれて、ちょっとデスノートっぽさが出てきたんだと思う。 けど、デスノートみたいな恐ろしさはないんだけどな、なんだろうな。

バス転落の瞬間のシーンはバスの後部を映した映像で、単純な画像圧縮により転落した風に見せているだけに思えた。 でも転落後のバスは、セットにしてはずいぶん大がかりな気がする。 どうやって撮影したんだろう。 まさか廃車になったバスを実際につぶしたんだろうか? 山の中の景色と学校側会見とマスコミ絡みのシーンと一部の家族の家のシーンばかりでロケの場所はそう多くはなさそうではあるが、このバスの部分があるのでちょっとお金かかっていそうなんだよな。

2021/09/20 のコメントを読む・書く


21 (火)

%1 連休明けかようび

三連休あけ、いや、夏休みくっつけたから 10 連休あけか。 休み明けはさすがに頭が回らんので小さなタスクをちょろちょろこなす日だな。

昼たまにはしゃぶしゃぶの店のランチにするかと思って行ってみたらなんか待ち客がいたようだったので出てきた。 すぐ入れたのかもしれんが待つのはめんどくさい。 それで結局いつもの、居酒屋ランチテイクアウト。

自治体のワクチン接種実績の発表の年齢区分が細かくなっていた。 40 歳以上を優先していたため 40 歳未満が遅いのはわかるが、それにしても 30 歳台が 25.7% っていうのは周辺自治体と比べてもダントツの遅さだし、そもそも優先していたはずの 40 歳以上も周辺自治体と比べると遅いのでどうしようもないねw 遅いと言われていた武蔵野市や世田谷区よりさらに遅いんだよな。 ファイザーワクチンに固執して 8 月にもたついたのが響いたかな。 今になってやっとワクチンモデルナ筋注も開始するらしいが、東京都下とは思えぬ遅さだね。 6 月に大規模接種センター利用希望者向けに接種券を先出ししたことと、高齢者の接種がうまくいったこと以外は落第点かと。

優先接種って、個人的な考えでは、「早くから予約できる」ぐらいにとどめておくとよかったんじゃないかと思っている。 例えば予約終了 2〜7 日前は高齢者対象、1 日前になると年齢制限なし、みたいな。 予約が埋まらなくなってきたから解放しましょう、ってやり方は自衛隊の大規模接種センターも実際そんな感じになったわけだけど、それって予約が埋まらなくなった時点で接種スピードは落ちてしまっているんだからね。 まぁー 8 月ぐらいからは、どの接種会場が使えるのかよくわからん (市/都/国/職域の実施で、特に職域で居住地や勤務先に関係なく接種可能なケースが増加)、っていう予約システムの問題もどんどん出てきてしまったけどね。

%2 リミット

テレビドラマ『リミット』。 オープニング曲の出だしの声、デビューの頃の浜崎あゆみっぽさがある。 この重たいドラマがだんだん気に入ってきて、DVD 買ってもいいかなみたいな感じになってきた。 学園ものっちゃ学園ものだけど、ほとんど山の中だから見た目は格好ぐらいしか学園ものじゃない。 高校生だけで遭難したようなもので気が狂う人がいるのも不思議はなく、普通ならしらけるようなフィクションっぽい流れもそれっぽく見えてしまう。 各キャラクターのバックグラウンドなど細かく設定されている感じだし、原作の出来がいいんだろうと思う。 テレビでやっているドラマの割にマスコミが本当にクソみたいな描かれ方なのもたぶん原作由来だろうな。

遭難といえば遭難者発見 : Camel Blog の話を以前読んだのを思い出した。 これは、携帯電話が完全に圏外になるような場所での遭難という事例、このドラマも現場が圏外で連絡が取れないという設定なので実際にそういうことは起こりうるんだなという話。

11 話。 けが人は増え、生存者がさらに減りそうだったがギリギリ踏みとどまった。 ほーん。 現場は山越えチャレンジ。 元いじめられっ子の家族の暴力問題を聞かされる主人公。 救助隊は山登り。 橋は崩れそう。 これ救助隊と現場と別々に移動してんのちゃんと遭遇できるんだろうか?

2021/09/21 のコメントを読む・書く


22 (水)

%1 すいようび

おとといが祝日で明日も祝日でとびとび仕事という何とも変な 1 週間。

都内新規感染者数情報を見ると、10 歳未満の数もかなり減ってきた。 ワクチンがまだ接種対象でない子供達の間で流行ってしまう懸念があったが、9 月下旬でこの数字なら何とか回避できていそうだな。 良かった。

そういえば SARS-CoV-2 のワクチンの一人当たりの接種量は体重じゃなくて免疫の強さで決まるらしい。 今後予定される 12 歳未満は非常に免疫が強いので減らすんだとか。 おもしろい。

%2 リミット

テレビドラマ『リミット』。 最終話。 現場は 2 組にわかれ片方は朽ち果てた橋を渡り、もう片方は橋の前で待機。 救助隊は沢を渡る。 橋は崩壊するのかと思いきや崩壊させたか。 救助隊は無事に全員発見。 生き残り 4 人、いや 5 人? あれ? 滑落無事だったの。 死亡した数十人の家族の描写は最終話には一切なかったがまぁそんなもんか。 あと事故そのものでは無事だったもののその後の人間関係で死亡してしまった 1 人についても家族は出てこなかったな。 家庭内暴力の家族も詳細は明かさずだったが、あんまり暗い気持ちが見終わった後に残るのも嫌だもんね。

いやぁなんか、TVer のおかげで最近はほんわかドラマやらギャグドラマやら恋愛ドラマやら飯ドラマやらいろいろ楽しんでいるけど、これはちょっとジャンルが違ったな。 ほんと、人物の見た目は紛れもなく学園ものなんだけど、中身は主人公が窮地に陥る映画みたいな緊迫感というのかな。 怖い話やホラーではないし、スーパーマンが助けてくれる物語でもない。 狭い場所でサバイバルチャレンジせざるを得なくなった人物達の物語、何か他の映画等にそういうのがなかったかと振り返ってみたけど思い出せないな。 あー、いや、あれか、タイタニックはちょっと近いものがあるか。 あれは航海中に事故に遭い、沈みゆく船の上で乗客乗員の間のごちゃごちゃが描かれる映画で、恋愛部分がメインになっているが、自分だけは助かろうとする人物やら、自分の命を捨ててでも誰かを助けようとする人物やら、たくさん描かれていたっけな。

『リミット』には恋愛要素はほぼ無しだし、バス事故で即死が多く生存者は少ないけど、生存者とその家族のドラマを 30 分の 12 話で表現したわけだ。 日本らしい危なっかしい山林に、生存者が全員高校生ってのも味噌で、大人な行動がなくても全然変じゃない。 原作は全 6 巻で電子版で 1 冊 462 円、全部買ってもたいした値段じゃないな... DVD は中古で安いのが 8k 円ぐらいか?

2021/09/22 のコメントを読む・書く


23 (木)

%1 秋分の日

いい天気。

久しぶりにブックオフ 2 店舗まわってみた。 特に買うものは見つからなかったけど、スクーターで行ったら暑いのなんの。 秋分の日なのに夏かよ。 結構渋滞もしていてなかなか。

八王子のブックオフやらハードオフやらが集まっているところも久しぶりに行ったんだけど、ブックオフ店内でなぜかハードオフの音楽が流れており、違和感あるなーと思ったら、その音楽のまま「ブック〜オフに〜売りに行こう」って歌が流れてきて笑ってしまったw ブックオフとハードオフは別会社だが、何年も同じ場所で両者入っている店舗だからこういうことができるんだろうか。 あぁ、フランチャイズでハードオフがブックオフをやっているケースがあるわけか。 ここは一応建物が別だけど、併設店でも同じ音楽が使われているみたいだな。

スクーターは前回給油時に少し燃費が悪かったんだけど、この前の修理・整備に伴って少し燃料消費があったせいかな。 今回は戻ったので大丈夫そう。 いつもだいたい 27〜29km/l あたりの数字が出ている。 4 ストロークエンジンの小型スクーターには逆立ちしてもかなわないけど、4 ストロークエンジンの 250cc バイクと比べれば近い数字で悪くはない (ように感じる)。 250cc から大型二輪の NC750X に買い換えても近い数字かも知れないけどねw

そうそう、大型二輪と言えば日本の運転免許の区分による (道路交通法による) 呼び方で、普通二輪免許で運転できない 400cc を超えるバイクを指す。 道路運送車両法による分類では 250cc を超えるバイクはすべて「二輪の小型自動車」に分類される。 125cc を超えて 250cc 以下の「二輪の軽自動車」はなかなか良いネーミングだと思ったが、その上は全部小型なんだなと。 300cc でも 3000cc でも同じ 小型 の扱いなのであるw 普通二輪免許に対して 125cc 以下に限定する「小型限定」も存在するので、混乱の元である。 小型 AT 限定もあるからバイク屋さんは大変だ。 原付免許には AT 限定が存在しないので、二輪の AT 限定あるいは普通車 AT 限定等の免許の人でも 50cc 以下の MT バイクは運転して良い。 でも道路運送車両法では 125cc 以下を「原動機付自転車」(排気量に応じて第 1 種か第 2 種かが付く) にしてしまっているからこれまた混乱の元。

改めて決まりを見れば、「二輪の軽自動車」には大きさの上限が「原動機付自転車」と同じように設定されていて、つまり 250cc 以下でも物理的に大きければ「二輪の小型自動車」の分類になって車検ありになるのか!? 確かに、道路運送車両法施行規則の別表第一を見れば「二輪自動車(側車付二輪自動車を含む。)及び三輪自動車で軽自動車、大型特殊自動車及び小型特殊自動車以外のもの」とあるので、排気量の下限は設定されていない。 この書き方は四輪での小型自動車と普通自動車の関係と同じ、つまり iQ の限定ターボ車や GR ヤリスみたいに、排気量が 2000cc 以下でも幅が大きくなれば 3 ナンバーの普通自動車になるというやつ。 すごくおもしろい話ではあるが、長さ 2.5m 以下、幅 1.3m 以下、高さ 2.0m 以下ってそう簡単に超えられるものではない、というか、これを超える二輪車って... あ、ゴールドウィングには長さ 2.5m を超えるグレードがあるw その大きさの 150cc のバイクを作ったら、「二輪の小型自動車」として車検を受けて登録することになるんだろう。 車検場の人はびっくりするかもw 50cc でその大きさがいければ混乱必至でおもしろいんだが、原動機付自転車の車体の大きさは道路運送車両法施行規則には含まれておらず、道路運送車両の保安基準のほうで決められているので、50cc を車体だけ大きくしても、保安基準を満たさない原動機付自転車になるだけっぽい。 125cc を超えてしまえば、400cc 以下は車検の有無以外は運転免許も自動車専用道路も扱いが同じなので、混乱はしないだろうな。

そういえばスクーターのハンドルのバーエンドの部品が緩かったのをこの前の整備でバイク屋さんがついでに対処してくださって、かなり良い感じになっている。 前のオーナーさんが交換していた社外品バーエンドが若干合わないみたいで、以前はほんの小一時間走っただけでちょっと飛び出ている感じになっていて、よく手で押し戻していた。 飛び出るだけで外れるまではいかない感じだったのでわざわざ純正に戻すほどではないなと思っていたが、そういうことがあるんですよーって軽く話していたらクイックハックで何かを隙間に挟んでくれたらしい。 マスターシリンダー交換に比べれば、おまけ的な作業だったんだろうとは思うけど、こういう放置しても大きな問題にならない部分は自分では放置しがちなので、ありがたい。

夕方、何気なく NHK-FM を選局したらかっこいい曲が流れていて、何かと思えば Van Halen 三昧だったのでそのまま最後まで聞いたw 洋楽については Van Halen のことも本当に何も知らなかったけど、在宅勤務で InterFM を聞くようになったら洋楽が身近になり、去年 Eddie Van Halen が亡くなったこともあり少しは知識がついた。 1990 年代は邦楽がにぎやかで、ロックだと B'z やら LUNA SEA やら GLAY やら、そういうのに親しんできたわけだけど、そういう邦楽のロックミュージシャンも Van Halen みたいな洋楽を聴いて育っている人達が多いわけで、目指すところは共通するものがあるんだろうな。 なのでそういう邦楽に慣れた自分の耳にも洋楽がすんなり入ってきて、かっこよく聞こえるんだろう、きっと。 理屈は知らんけど。

2021/09/23 のコメントを読む・書く


24 (金)

%1 きんようび

暑い日。 夜に強めの雨が来た。 かなりひどく降った割にはアメダスに降水記録が全く出ていなくてびっくりなんだけど。

テレビでやってた映画『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(原題: Indiana Jones and the Temple of Doom)。 1984 年のアメリカ映画。 ハリソン・フォード主演。 なんかごったごたなところから女性を連れて逃げ出すあたりから見た。 飛行機からボート使って飛び降りるシーンに笑ってしまった。 いろんな言葉がごちゃごちゃに出てきておもしろい映画。 子供が「先生」ってつけているのは "Dr." を付けて呼んでいるのを訳した結果かな。 大人の発言では「博士」って訳されていたな。 ハラハラドキドキ物語。

『リミット』を見て思った、もう一度見たくなるドラマやアニメってなんだろうな、って考えてみると、なんか理由はわかんないけどそういうのはある。 リアリティっていうのはあんまり関係なさそうで、ちょっとキャラクターが多くて見返してちゃんと理解したいみたいなのとか、すごく印象に残るようなイベントが発生するようなのとかかなぁ。 例えば『電脳コイル』は途中から一気にホラーになるしちょっと話の難しさもあってたまに見返したくなるアニメだった。 終わりがいいっていうのもあるかな。 『ゆるキャン△』なんかは見ていて楽しいけどそこまで斜め上なイベント起きない感じ、安心して楽しめるタイプ、そういうのはあんまり積極的に見返したいとは思わないかも知れない。 アニメ『頭文字 D』は初期の主人公の冷め切った態度が好きで... あぁ、そのパターンもあるかw 『鬼滅の刃』も今はまだ記憶にあるけどそのうち見返したくなるかもなぁ、キャラクターが濃くておもしろかったので... 去年見た 1993 年のドラマ『ひとつ屋根の下』も強烈な重たい話が終盤にあったのが印象に残っていて、見返すとまた違った視点で見られそうな気がしている。

2021/09/24 のコメントを読む・書く


25 (土)

%1 どようび

泌尿器科。 いつもの。 残尿 26ml ぐらい? あなたの年齢ならあと半分ぐらいになるといいんだけどねぇー、って。

泌尿器科に行く時、雨がパラついていたので車で出かけて、駐車料金のことは深く考えずに、駅を挟んで反対側のタワーマンションの地下駐車場を使った。 駐車場は結構空いていた。 30 分 300 円。 薬局を出た時 1 時間 35 分ほど。 ヨシ、まだ 25 分ある、ランチ食べていこう、と空いているレストランに寄って食べていたら、だんだん便意が... トイレを借りて出たらもう駐車時間 2 時間だw さらに駐車場に戻るまでにもう一度便意があって、勤務先のオフィスビルのトイレを借りたが駐車料金 1500 円には間に合った。

孤独のグルメ Season 9 #12. 最終回。 横浜。 米屋さんでの営業でおにぎりに釣られる表情に笑ったw パスタ & ピザの店でハンバーグってのも、演出じゃなくて実際そうなんだと思うがなかなか良いw それでハンバーグやら牛の生姜焼きやら食ってからさらにナポリタンを食うんだからやっぱり大食いだよなw

F1 ロシア GP 予選。 ウェットコンディション。 悪天候で Free Practice 3 はキャンセルになっていたとのことで、みんなぶっつけ本番じゃん... 予選中、雨は降らずに徐々に乾いてきたので Q3 でドライタイヤにかえるチームが出始め、その時トップタイムだったハミルトンはピットロードで滑って壁にぶつけてしまい、前ウィング交換が必要になり手痛いタイムロス。 しかしドライタイヤで本当にタイムが出るかー? って言っていたら皆 2 周目のアタックが速い。 ハミルトンは 2 周できる時間がなく、おまけにスピンもしてタイム更新できず、それでノリス、サインツ、ラッセルという若手ドライバー 3 人が予選トップ 3 に。 (サインツはもう F1 7 年目でベテランとも言えるがまだ 27 歳だ。) ドライといっても乾いたラインはほとんど 1 本だけって状況、うぉぉ、って思わず変な声が出るほどおもしろかった!

F1 7 回チャンピオンのハミルトンのドライビングセンスがいいのはもちろん明らかで、このぶっつけ本番みたいな状況でチームメイトも確実に引き離すトップタイムをバシバシ出していたんだから本当に異次元だと思うけど、さすがにドライタイヤへの切り替えはギャンブル要素もあってうまくいかなかったか。 でもこんなドライバーがピットインで壁にぶつけたりアタック中にスピンしたりするのを見ると、速さはマシンのおかげだけではないし、ドライバーはやっぱり人間なんだなというのを感じさせられる。 以前のアロンソも、ミシュランタイヤの頃のウェットコンディションで、めちゃくちゃアンダーステア出しながらめちゃくちゃ速かったのはインパクトがあった。 今回のノリス、サインツ、ラッセル、それに今回 PU 交換ペナルティがあってちゃんとアタックしなかったルクレールやフェルスタッペン、このへんからもこういうレベルのドライバーが誕生するとうれしい。

%2 実家で使っていたパソコンの話

前にオペレーティングシステムをインストールした日を推定してみたことがあった。 その時 Windows 98 Second Edition を 2000-02-12 と書いている。

今日別なメモを見つけた。 FreeBSD(98) で遊んだ日記のようだ。 日記といってもものすごくとびとびなのだが、2000 年 1 月 17 日に、もうすぐ SOTEC のパソコンが届くみたいな話が書いてあった。 確かに時系列的には合っている。 へぇー! (何も記憶にないが自分以外にこの文を書いたやつがいるわけもない...)

他にも見るとどうも 1999 年 9 月に日本語入力を設定 (おそらく Mule で Canna!), 11 月ぐらいに MP3 プレイヤーを試したらしい。 その時まだ SOTEC のパソコンがなかったわけだから、PC-9801RA/DA/BX のどれかと PC-9821Ap2 の 2 台で、普段は前者を使っていたと思ったが、前者で MP3 再生は不可能だったので SCSI ケーブルをつなぎかえて後者を使っていたかな。 たまにカーネルビルド用に後者を使った記憶はあったが、MP3 プレイヤーも試していたとはなー。

前の推定の時に書いたように 1999-07-24 に Cx486DLC を使っていた形跡があり、その時はたぶん DA (20MHz) だと思う。 その前 (FreeBSD に手を出す前) に RA を使っていたが、途中で DA のお古が手に入って CPU とコプロセッサを移したんだった。 BX のお古もその後あったはずだがいつだったか。 翌年 3 月にはもう SOTEC と Ap2 の 2 台体勢になっていたんだよな。

2021/09/25 のコメントを読む・書く


26 (日)

%1 にちようび

のんびり。

ドラマ『リミット』の中古 DVD BOX をブックオフオンラインで買ったら福岡から発送されてきた。 オンラインなので株主優待券を使いそびれてしまった。 あっ、店舗受け取りって手があったのか。 まぁいいや。 普通に状態は良さそうで、一度見て手放した系か? 5 枚組だが 3 話ずつ入っていて 5 枚目は特典映像、ここに期待のメイキングがあった。 転落バスをどうやって撮影したのか... 飛ばしながら見てみると、あった。 なんと、バスは普通に自走で現場までやってきた後、一部解体して重機で横倒しにしていた。 マジか。 ハイデッカーの大型観光バスだぞ! セットじゃないどころか、自走可能な実物かよ! 廃車予定だったものではあるんだろうけど...

あと細かいところは水泳部の泳いでいるシーンがあったけど水泳経験があると言っていたような... まぁ俳優さんのそういう経験はストーリーに大きな影響はないけど、経験者だと違和感は小さくなるよな。

F1 ロシア GP 決勝。 サインツはスタートで先頭に出たものの、しばらく後でノリスに抜き返されて、その後は順位を落とした。 ノリスが初優勝を目指してリードしていて、追いつかれても何とか逃げ続けていたが、最後に雨が降り、タイヤ交換するかどうかで判断がわかれ、ハミルトンが優勝になった。 なんと 100 勝目。 ノリスは前戦は 2 位だったし今回も雨が降るまでは完璧で、そのうち優勝できそうな勢いを見せている。 中野信治の解説によれば、ノリスはデビュー時のハミルトンのように、F1 マシンの向きをまるでカートのようにクイッとかえているというような話だった。 予想外なのは最後尾スタートだったフェルスタッペンが 2 位だ。 53 秒も離されての 2 位は雨の混乱のおかげでもあるが、見事。 順位を落としていたサインツも 3 位になっていた。 ライコネンは新型コロナウイルスのブレイクスルー感染で 2 戦休んで今回復帰だったが、雨の混乱の中いつの間にかポイント圏内にいたのはさすが。

%2 DOSBox-X

PC-98 実機から取り出した HDD イメージを使うには、CHS の指定が重要なようだ。 -size パラメーターに、セクターサイズ (512 バイト), トラック当たりのセクター数、シリンダーあたりのヘッド数、シリンダー数を , 区切りで指定する。 CHS の値はちょっと推測するしかなくて、とりあえず 100MiB HDD はヘッド数 2, 500MB はヘッド数 3 でマウントできた。

ICM の IPL (ハードディスク起動メニュープログラム) は動くみたい。 NEC のも動くんだろうがまだ見ていない。 GRUB (PC-98 移植版) を入れていたと思われるものは動かなかった。 最終的に 9801 で使っていたのは 500MB, 240MB, 340MB の HDD と思われ、240MB と 340MB は FreeBSD(98) 用にしていたので 500MB が DOS と Windows でたぶん GRUB, 別に古い 100MiB がありそっちもいろいろな用途に使ったようだが ICM の IPL が残っていたので、100MiB のほうで起動メニューを出して 500MB からの起動が可能。 EO System (v3) が動かないな...

Windows 3.1 は PC-98 版が起動できるようだ。 EGCN4.DRV でちょっと画面が寂しい。 プラグアンドプレイもない時代、サウンドも何が使えるのかよくわからない、っていうかデバイスドライバーが使うものしか入っていないかもね、この頃のは。 Windows 95 は DOS 部分だけでも 386 以上じゃないとだめと言って動かない。 デバッガーで試行錯誤すると CPU 的には大丈夫そうなので何だろうと思ったが、ふと思いついて UNDOCUMENTED を参照、0000:0480h に 03h を書き込んでからだとパスすることがわかった。

まぁなんかいろいろやっている間に、9801DA のお古に移ったのが 1998 年だったらしいことが判明した。 DOS 時代の AUTOEXEC.BAT がカオス過ぎてやばいw 涙ぐましい努力でコンベンショナルメモリーの空きを確保しているw

2021/09/26 のコメントを読む・書く


27 (月)

%1 花粉?

今月は意外と痰が絡み気味の日が多かった。 明らかにアレルギー性鼻炎の鼻づまりの程度もよくなくて、痰はそっちから来ていたと思われる。 たまに点鼻薬の量を増やしてみるなどいろいろ試みていたんだが、ここ数日は良くなってきた。 とはいえなんか目がかゆい時もあるし、この季節の花粉っぽい感じがあるな。 花粉症じゃないけど。

%2 くろいわ

鹿児島空港で買った、鹿児島ラーメンのくろいわの半生麺バージョンを作って食べてみた。 なぜか製造は香川県w 具がまったく付属していないので適当に長ネギだけ入れた。 素朴な感じだが案外美味い。 あんまり期待していなかったせい? スープがいかにも鹿児島ラーメン! って感じというか、何の変哲もない豚骨ラーメンというか。 例えば即席のうまかっちゃんもまぁ豚骨ラーメンとして悪くないけど、うまかっちゃんはスープがちょっとしょっぱいような感じがあったような? 麺も半生だから美味いし。

これ 1080 円で 4 食入りで生麺系ではちょっと安めなほうだけど、具を自分でいろいろ突っ込むなら悪くないな。 具もついているのがいいなら、今回は買っていないけど豚とろが一番かと思う。 あれは一度食べたことがあるが満足感あった。

%3 リミット

DVD であらためて見直すと一応いろいろ伏線が仕込まれていたのがわかるな。 ドラマを見るときって映画と違ってあんまり集中力を保って見ていないし、時間が長くなるのであんまり細かいシーンを覚えていられないところもある。 まぁこれは 30 分ドラマで 12 話だからだいぶマシではあるけど。

%4 昔のパソコンの

CONFIG.SYS と AUTOEXEC.BAT を見て少し思い出してきたぞ。 100MiB の HDD (ICM SFX-16) は実家で最初に導入された外付け HDD であり、しばらく仕事等で使われた後、自分が PC-9801RA を触りだした時 (1994 年前後のはず) に使っていた HDD でもある。 その頃にもう 1 台のパソコンでは 240MB とか 500MB とかの HDD を使っていて (Windows 95 導入時には 2GB だったのが記憶にある), 100MiB では容量的に厳しかった時に MS-DOS 6.2 の DBLSPACE.SYS (DoubleSpace) というドライブ圧縮機能をガッツリ使っていたんだった。 でもその後容量の大きな HDD を追加して使わなくなったのか、DoubleSpace のデータらしきものはもう残っていない。

そういえば 100MiB しかないのに Windows 3.1 を動かしていた記憶がある。 さらには Cx486DLC 16MHz で Windows 95 を動かしてみるという無謀な遊びも 100MiB HDD を使って一度行われたはずw まぁとにかくなんかこう小さな HDD でいろいろやりくりしていたはず。

えっと、カビが生えたフロッピーディスクでドライブを使えなくしたのがどうやら 1996 年の夏ぐらいだな。 さらにもう片方のドライブも異音が出たらしく、どちらも分解して掃除・修理をしたのが 1997 年のゴールデンウィークらしいw

1997 年 7 月なのかな、Windows 95 チャレンジやったのは。 容量からするとその時には 100MiB のほうを Windows にして、もう 1 台の何かの HDD を DOS 用にしていた可能性がありそう。 その後の経緯が記憶にないが、最終的に 500MB の HDD をパーティションふたつにして DOS 用と Windows 用にして使っていたっぽくて、うーん。 どっかで移行したと思われるが...

あと、1999 年 7 月 19 日に Mule for dos を削除したというコメントを見つけた。 やはり空き容量が厳しかったようだ。 だがなんで Windows のほうにこれが残っているんだろう。 ドライブをわけていた? どうしていたんだ...

SOTEC を入れた後はもう 9801 のほうは稼働させてはいなかったと思うんだよな。 9821 に 4GB と 2GB の HDD をつないで、その 4GB の Windows 98 の FAT32 を FIPS が使えない中で無理やり縮めて FreeBSD(98) をインストールした。 そこはわりときれいに記憶もデータも残っている。

とまぁ昔のデータを漁っていたら、500MB の HDD にちょっと記憶にないフロッピーディスクのバックアップが残っているかも。 これは... なんだ... 自分のソースコードを入れていたやつと... もしかして一太郎 ver.3!? マジか... でもこのフォーマットなんなんだ... DCU ってのはそういう名前のユーティリティーがあったのか。 DCP って何だ? 同じか?? JX に移植した Vz のバイナリももしかしたら取り出せるかも知れないな、これ。 どっかにとってあったとは思っていたんだが、まさかこんなところに...

2021/09/27 のコメントを読む・書く


28 (火)

%1 DCU

20 年以上前に、DCU という DOS 用のディスクコピーユーティリティーを使って、フロッピーディスクのイメージを作成したものがあった。 標準的な FAT フォーマットのものをとっておくのに使ったらしい。 拡張子が .DCU のものと、なぜか .DCP にしたものとがあって、そうした理由はよくわからないが、どっちも DCU コマンドが正常に受け付けた。

さてそれを普通の raw image に変換したい。 DCU コマンドは file-to-file は処理してくれないようだ。 いったんフロッピーディスクに転送すれば raw image への変換が可能。 その手で 1232KiB の (77 シリンダー、PC-98 DOS 2HD フォーマット) は DOSBox-X 上で処理できた。 しかし 720KiB (80 シリンダー、IBM DOS 2DD フォーマット) はうまくいかなかった。 DOSBox-X が対応していないのか、フォーマットが違う扱いになってしまい、DCU がフォーマットをしようとしてエラーになってしまう。

DCU 独自フォーマットの中身を見るとそう難しくはなさそうで、試行錯誤の上、変換に成功した。 先頭 162 バイトがヘッダー。 先頭 1 バイトが 01h のものは 2HD で 05h のものは 2DD。 残りの 161 バイトは 00h か 01h が入っているのだが、最後の 01h の位置が最終トラック (2 ヘッド) の次の位置を表している模様。 その手前はトラック単位で 01h のところがデータありで 00h はデータなしになっているようだ。 2HD なら 1024*8 バイト単位、2DD なら 512*9 バイト単位で、空き領域をスキップしてくれているらしい。

さてそれで、出てきたののひとつが少なくとも 1993 年まで JX で現役で使っていたらしいディスク。 失ったと思っていた VZ Editor の JX 移植版のバイナリがあった。 AUTOEXEC.BAT はバッチファイルのコンパイラー? とやらで EXE ファイル化され、中では細々したツールと VZ を常駐させ、"今日は何の日" を表示する TODAY は圧縮して入れてあるのを RAM ドライブに伸張して表示、CONFIG.SYS でロードする文節変換プログラムまで独自の圧縮をしていたらしい。 すげぇ、720KiB のフロッピーディスクにかつかつで詰め込みつつ、当時のあまりに遅かったバッチファイルをコンパイルしてスピード向上も図っている。 まぁ、大半は兄者が作ったプログラムで、自分は VZ の移植の時に何か手伝いをしたのと、スクリーンセーバーの自作と、めちゃくちゃ単純化したディスクキャッシュプログラムの自作ぐらいしかしていない。

あと C やアセンブリ言語のソースコードを保存していたディスクが出てきた。 1995〜1998 年頃の... リアル中学生時代の。 C は 1997 年以降が残っているが、実際 C を本格的に使い出したのは 1996 年というのを覚えていて、HDD には 1996 年の日付のファイルも残っている。 なんかごちゃごちゃといろんなことをやろうとしていたくさいが今も昔も小さいツールばかりたくさん作るのだw まぁそれはともかく、当時ソースコードは割とフロッピーディスクに入れていて、もう失っちゃったかなと思ったものの一部が発掘された感じで感慨深い。

あと出てきていないのは BASIC 絡みかなぁ。 JX の分はある程度残っているが、PC-98 で特に Visual Basic for DOS でいろいろ遊んでいたのはもうないかも。 もっと後になると光磁気ディスクに保存していたので残っているんだが。 まぁー 1996 年にカビが生えたフロッピーディスクでやらかした時にいくつかだめにしたような記憶もあるが。 (上のドライブのヘッドにカビがこびりついてしまって、その後に入れたフロッピーディスクに次々に傷がついていくという残念な状況で、それに気づいてからもしばらくはうっかり入れてしまうことがあり何枚かだめにした気がする。PC-98 の 5.25 インチドライブはアクセスしなければヘッドが接触しないので、ソフトウェア的にドライブ文字を消してアクセスできなくするみたいな対策をしていた。)

2021/09/28 のコメントを読む・書く


29 (水)

%1 すいようび

整形外科寄ってからの久々の職場。 マウスの左右のグリップ部分が加水分解でべたべたになっていたのは前からだったが、ホイールまでべたべたになっていてさすがにひどいw 手指消毒用アルコールを紙に吹き付けてゴシゴシこすったら良くなった。

職場近くの... というかモンテローザ本社ビルの入口通路で 500 円弁当が売られていることを知った。 こんな場所で 500 円弁当って利益は出るんだろうか? しかもかなりのボリューム。

%2 -1998

あらためて実家から出てきた古いデータのダンプを見直していると、光磁気ディスクに label なしのものが。 ボリュームには label がつけてあり、"340M Backup" となっている。 中身は DOS 時代に使っていた内容で、最後に触ったのは 12 月 25 日頃と思われる。 ほぉー! つまりこの時までは 340MB HDD を使っていたんだな。 これは次の年には FreeBSD(98) の /usr が突っ込まれる HDD である。

この時はまだ Go32 版の Mule-2.2 が残っている! ディレクトリの日付は 1998 年 9 月。 y_EMACS も同様、これが本当に初めて GNU Emacs を使ってみた時になるかも。 /usr/local は他でも残っていたが 3 月の日付、Go32 の GCC か何かを試した時かなと思ったら GCC も同じ更新日のディレクトリにあった。 DOSBox-X 上でもこの GCC バイナリは動いてくれなくて、ちょっと詳細はわからないけど、GCC 本体は 1994 年の日付になっているからずいぶん古いバージョンに違いない。

んで更新日 1998 年 7 月の AUTOEXEC.BAT を見ればやたら丁寧にコメントを書き込んであり (どうやら自分が打ち込んだらしい...)、Double Space の圧縮ドライブの他にふたつの HDD があったことがわかる。 AUTOEXEC.BAT の何らかの作業時のコピーとおぼしきファイルもあり、その更新日を見ると少なくとも 1996 年 8 月頃から1997 年 5 月頃までは HDD がひとつ少なかったようだ。 Windows 用のアプリケーションがところどころ入っているのを見ると、Windows 側の HDD の容量が厳しくて余裕のあるこっち側に突っ込んでいたみたいだな。 素直に考えると 100MiB に Double Space 圧縮の上で Windows 突っ込んでいたということになりそうだが... さすがに調べようがないというやつだ。

しかし DOS 時代は何度も別の HDD へのシステム転送をしていたように見える。 覚えていないのでたぶんだが、FORMAT /S やって XCOPY ぐらいの感じの、今思えばずいぶん適当に作業していたものだな。 なぜか DOS 用の領域に long file name だったものらしき ~1 がついたままのファイルが残っているのも、何かの拍子に作ってしまったものをそうやって転送した時に long file name が失われてしまったに違いない。

よく考えると 340MB HDD はどこかからもらってきたお古だった気がしてきた。 実家に導入された外付け HDD, 100MiB の次は 240MB (超うるさい), んでその次がたぶん 500MiB (Windows 3.1 時代), それから 2GiB (Windows 95 時代), 4GiB (Windows 98 時代) という順な気がする。

2021/09/29 のコメントを読む・書く


30 (木)

%1 もくようび

今日も整形外科寄ってから職場へ。 なんか、あれだね、在宅勤務と違って、仕事が捗らなくてもすごく仕事をしたような気になるというのかなw 新鮮で不思議な感覚だ。

在宅勤務だって、考える時間が長い作業の場合は部屋の中をうろうろ歩き回っているばかりなんてこともあるけど、他人というノイズがないぶん集中力は実は高いのかも知れないな。 もちろん画面越しに文字ベースのやりとりはあるんだけど、それと比べて現実世界は情報量が多すぎる... 人が歩いているだけでも、足音の大きさ・間隔、表情、呼吸、手の振り方、行き先... 膨大な情報と接していて、うれしそうとか怒っていそうとかそういう推測情報も作り出すじゃない? そういうの、気にしていないつもりでも案外意識をとられているのか。 話をしたい時には直接のほうが良い面もあるだろうけど、それも膨大な情報量に意識を奪われていて実はふんわりふわふわな対話になっているなんてこともあり得る。

まぁ在宅勤務の時はラジオを聞いているけど、それはノイズではある。 が、音 (声) だけなので情報量としては小さい。 それ以外は見慣れた自分の部屋なわけであり、一人暮らしなので他人の影響は周辺環境の音ぐらい、あっ、それも音か。 おもしろいなぁ。

%2 1998!

きのうも書いた昔の HDD の話の続きだが、500MiB の頃まで ICM の HDD が多くて、その後 2GiB は別メーカーで、4GiB は ICM... いや違う! あー! みたいな感じになったw

古い SCSI HDD の中身を読み出した時、テキストファイルにちゃんとメモをしてあった。 ICM SX-340-DB の中身を 4GiB に入れ替えたものらしい。 はー! それだ!

さぁて。 最終体勢については FreeBSD(98) のログから推測できる。

まぁーだいたいあっていそうだな。 DA も BX もお古だが BX は 1999-09 下旬頃からで、半年ぐらいしか使わなかった模様だ。 お古の 340MB (正確には 345MB) の TAXAN MAXTOR HDD は SCSI 1 だったらしい。 240MB が SCSI 2 なので逆転現象だw

ディレクトリの更新日がそろっているのがあるのはシステムを引っ越してそうなったんだろうな。 9801 のほうに WSR-E といううさんくさいビデオアクセラレーターを途中で導入したんだけど、ディレクトリの更新日が参考にならないのでファイルで探すしかない。 まぁ、遅くとも 1998-07 には導入していたっぽいな。

あっ、あとはメールボックスにヒントがあるのか。 1998 年以降電子メールで家族間やりとりをしていたようだ。 ふむむ... そうか、よくあんな手探りで PC-Unix を触りはじめたもんだと思うけど、経験者に直接話を聞いていれば早いわなw DA の電源が怪しくなったのも 1999-09 じゃん、なるほどなぁ。 FreeBSD(98) 入れ直しの話まで書いてある。 ほぇ。 我ながらよくもまぁこんな長文メールを...w

2021/09/30 のコメントを読む・書く


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Hideki EIRAKU