/var/log/hdk.log

2021 年 10 月上旬

prev, this, next


01 (金)

%1 きんようび

Slack のトラブルに巻き込まれた。 日本時間早朝ぐらいに Slack が DNS でやらかしたらしい。 自宅ネットワークはセーフだった。

今日も整形外科寄ってから職場へ。 原付で行ったがかなりの雨だった。 まぁ台風だしな。 それたとはいえ。

ジョルカブ、スクーターとしては珍しい構成だが、エアクリーナーがシート下 (ハーフメット専用メットインのさらに下) にあるのは雨の日を考えると強いな。 キャブレターもエンジンの上ぐらいに位置するので、アドレス V100 のような雨水吸い込みトラブルは起きにくいはず。 やっぱり雨の日は結構水たまりなどができてタイヤで水を巻き上げてしまうので、普通のスクーターはエアクリーナーまで水が達しやすいんじゃないかな。 まぁでもジョルカブは自然空冷だから、走行風と一緒に取り込まれた水や、前タイヤが巻き上げた水もエンジンにかかっているのかな、そういえば。 あんまり意識したことないな。

テレビでやってた映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(原題: Indiana Jones and the Last Crusade)。 1989 年のアメリカ映画。 この作品の主人公、前作も含めすぐ女に手を出すw なんだろうな、こういう設定がおもしろかったんかな? 今度はインドではなく、親子でイタリアやらドイツやらでわらわらする話だが、ナチスドイツの描写がガッツリある。 1989 年、主演のハリソンフォードは 47 歳ぐらい、そんなに若いわけではないが、帽子をかぶった姿は時にトム・クルーズのようにかっこよく映る。 聖杯を飲み 700 年待った人の描写を見るとそういえば見たことがある気がする。

2021/10/01 のコメントを読む・書く


02 (土)

%1 どようび

のんびり。 朝は冷えていたが、晴れて暑くなり昼は 30 度。 そして夜は急に雨と雷。

%2 昔のパソコンの

最近書いている昔の話っていうのはようするにディジタルフォレンジックのまねごとみたいなもので、残っているファイルシステムの情報からいついつ何していたんだなーみたいなところを振り返っているわけなんだが... 今日は、LZH ファイルが大量に溜まっているディレクトリの中を見てみた。 これはどうも、昔パソコン通信で兄者がダウンロードしたファイルをため込んだディレクトリのようだ。 更新日はアーカイブの中身に合わせて変更してしまったのか、あんまり参考にならなそうな感じになっている。

が、もう手に入らないかと思っていた WTERM が見つかった。 うれしい。 昔はパソコン通信と言えばこれだったよなー。 あと ψmenu とか (これは Vector にもあった)、TYPEWAIT というテキストをゆっくり出力するプログラム (Turbo Pascal で書かれていたらしくソースコードつき) とか (キャプテン鹿児島のボードにエスケープシーケンスを使ったおもしろいのがいろいろあったらしい)、触った記憶はないけど Nit Emacs とか、もちろん LZEXE なんかも出てきて (どうもフランスから英語圏の国を経由して LZH 化されたものが配布されていたようで、さらに日本語化のパッチみたいなのまであった)、意外と当時からコンピューターネットワークにつながっていたもんだな、という感じがする。 ファイラーの ID というのも出てきて、中を見たら if800 用に作っていたら DOS 汎用になりましたみたいなドキュメントがあって笑った。

あと他にも BACKUP というディレクトリにあったアーカイブからまた DCU ファイルが見つかり、懐かしいものが出ては来た。 定番フリーソフトウェア集みたいな本があって、そこから入手したオンラインソフトもあったみたいだな。 全然別のディレクトリからも .dcp ファイルのアーカイブが出てくるし、ディスクの中身が散らかりすぎて困ったもんだw

ま、それはいいとして。 ディレクトリの更新日が参考にならないので、あと参考になりそうなのは CONFIG.AZM だな。 これは EO System が使うファイルでアプリケーションの起動に必要な情報が書かれている。 自分はいろいろいじくっていたけど、2GiB HDD に残っていたものはそうでもなさそう。 例えば WX2 が 1993-06 だったり JW2 が 1993-09 だったり、まぁそうなのかな、って感じが。 じゃあそれらのディレクトリはいつなのかっていうと、1995-06 になっている。 この時に 2GiB HDD への移行を行ったのか...? それとも別の HDD へ移行をしていて、2GiB に移行の時はディレクトリの更新日も含めたコピーを使ったか? そこはわからんね。

Windows 3.1 の残骸はなぜか CONFIG.AZM が入っていてなんだこれ? ってなるけどもしかしてインストール日がこれ? 1994-11... ふうむ。 いや、もうちょっと早かったんじゃないかな... 学校に横置き TOWNS II が入った時に Windows をすでに触っていたと思うんだけど、あれが 1993 年ぐらいじゃないかという記憶で (モデルそのものは 1992 年秋に発売されていたらしい)、ああ、だからもしかすると最初はお試しみたいな感じで適当にインストールしたのが別にあったのかな。 確かにクリーンインストールだった可能性は結構ありそう。

RA.LZH ってファイルを見つけた。 9801RA から 9821Ap2 に移行する時に古い設定をバックアップしておいたものと見るのがよさそう。 1993-12-26 らしい。 ほー。 JX のプログラムを置いていたディスクに残っているのもだいたい 1993 年までで勢いが止まっているから、あってそう。

1994-1995 年のアセンブリ言語用のディスクのコピーっぽい LZH 書庫を発見した。 990612A1.LZH ってこんなファイル名でわかるかよ! このファイル名で更新日が 1996 年なのも謎だ。 後からファイル名変えたか? (A2, A3 は DCU イメージで見つかっている。)

ちょっとディジタルデータから離れて、アナログな生徒手帳を見てみた。 中学 1 年 2 年 3 年と、年が進むにつれて書く量が減っていて余計なことは書かない大人になっている (←?)。 ちょっと驚いたのが 1 年の分に TETRIS と書いてありゲームコントローラーのキー割り当ての絵があって、TOWNS でも動くゲームを作ろうとしていたのが伺える。 そのゲームを LSI C-86 試食版を使って作ったのは 2 年の時だったと思ったが... HDD に残っている LSIC86 ディレクトリも 1996-08 だし... あれかな、作ろうと考え出した時にはまだ LSI C-86 試食版を使うつもりじゃなかったのかな。 生徒手帳を 2 年になった直後にも少し使っていたようで、標準学力検査の時間割などもメモしてあった。 なぜわかったかというと日付に曜日も書いてあったからで、曜日が 3 文字アルファベットなあたりにリアル中二病の香りがするw 2 年の分にも、キーコードがどうこうという、TOWNS のハードウェア仕様を手探りしたあとが残っていた。 TOWNS のハードウェアマニュアル無しでよくやったもんだ。

はー、ちょっとわかってきた。 C のディスクは抜けがあるようで追跡しきれないが、アセンブリ言語が参考にできる。 1995 年もアセンブリ言語と仲良くしていたようだが、8 月から .PSM が登場する。 これは PASM っていうプリプロセッサの解説が載った本のプログラムを入力したやつだ。 (どこかで配布されていたんだろうと思うがダウンロードじゃなくて入力したはず。) その PASM の実装は C で、あんまり C に慣れていなかった当時、やたらスペース類を省略する入力方法に慣れてしまった。 あとテキストエディターの設定を変更して { } 入力時に改行とインデントを自動的に行うようにしていた。 PASM の入力途中の 1995-07 の夏休みっぽい日付のものが HDD に残っているw んで PCM をビープ音で再生するなどの遊びをいろいろやってきて、1996-05 から急に間があき、その次が 1996-08 になっている。

その間に何があったかというと、はじめて読む 486 を入手している。 1996-07 の夏休みからプログラムを入力して試したらしきあとが HDD にある。 それから 1996-08 にアセンブリ言語でうっかり HDD を吹っ飛ばしたプログラムの修正版が HDD に残っていて、キーボード BIOS の INT 18H と間違えてディスク BIOS の INT 1BH と打ち込み、見事に HDD のパーティションテーブルを吹っ飛ばしたのであった。 この時期だったということは、夏休み帰省中の兄者の冷静な判断と優秀なオンラインソフトのおかげで復活した。 起動しないのを見てから打ち間違えたのに気づいた時のショックといったらもうね... この頃は 100MiB HDD だった気がする。 そうだ、GUARD というディスク直接アクセスから保護するプログラムを復活後に入れていて、そのディレクトリが 1996-08-17 になっているから間違いなさそう。

んで LSIC86 ディレクトリが 1996-08-19 なんだな。 ここがちょっとよくわからないところで、もっと前に触っていたはずなんだ。 というのは、LSI C-86 試食版に生成させた .A86 ファイルがひとつ HDD に残っていて、それが 1996-08-06 になっている。 それに、はじめて読む 486 のプログラムを打ち込んでいた時には、すでにだいぶ C の理解が進んでいた気がする。 というふうに考えていくと、1996-05 から 1996-07 あたりの頃に使い始めたと考えるのが素直じゃないか? ゲームを作ろうとしていたのがあって、C を使うことにして、どこで知ったのか (PACK か?) LSI C-86 試食版ならフロッピーディスクで持ち運べるぜみたいな感じだったかな? LSI C-86 試食版のおかげでポインターを理解できたのは覚えているんだよな。

2021/10/02 のコメントを読む・書く


03 (日)

%1 にちようび

昔の PC-98 DOS 環境で使っていた FILMTN, ずいぶん古いバージョンを使っていたんだが、どこから入手したんだっけかな。 Vector の PACK10000 にももっと新しいのが入っていたのに、アップデートはしなかったようだ。 Vector ではシェアウェア扱いになっていて、でも説明を読むと HiText 環境のみ有料となっている。 通常環境だったから引き続き無償使用してよかったはず。 でもシェアウェアなのを気にして手を出さなかったような気もしないでもない。 別によかったのに...

HiText 環境とはなんぞや? と思っていると Twitter で詳しい方が教えてくださった。 1990 年代、IBM 互換機のほうでは DOS/V が登場し、ハードウェアに頼らない日本語化が実現し始めていた。 そんでもってそちらでは V-Text というのも出てきて、普通の DOS/V では 640x480 の 16 ドットフォントだったのに対し、V-Text では PS/55 の日本語 DOS と同等の 1024x768 の 24 ドットフォントを実現したものだったようだ。 あるいはフォントを変えずに画面を広くするのもあったんだろうか。 この V-Text に相当することを PC-98 でもやっていた企業があって、それが HiText だったようだ。 へぇー! カノープスのグラフィックアクセラレーターなどに付属していたという話なので、あれっ、実家で使っていたのもカノープスだったぞと思ったら、98 ローカルバス版にはなかったかもねということで、なるほど...

なお、当時の二次元グラフィックス用ハードウェアの環境では、ソフトウェア処理ではどうしても性能面での妥協が必要だったが、今時のグラフィックス環境なら、当時の JIS コード全体の 16 ドットフォント、いやおそらく 48 ドットフォントぐらいであっても楽勝ですべて VRAM に入れることができて、テクスチャーにして shader でゴリッと処理をすれば当時の PC-98 を遙かに上回る頻度で画面更新が可能なのは間違いない。 今時のグラフィックス処理装置には各フラグメント (ピクセル) 単位で簡単なプログラムを走らせられるんだから、当時のテキスト VRAM と同じ構造にしても、文字コードも属性も余裕で扱える。 ディスプレイ側も 120Hz 駆動といったものもあるし。 いやまぁ CPU もバスもメモリーも全部進化しているので、全部 CPU でやっても当時の PC-98 を上回れるかも知れないが...

%2 バイク

バイクでどっか遠出しようかと思ったが、気が変わって、近場の藤野、道志、相模湖あたりをぐるっと回って数時間で帰ってきた。 楽しい。 なんだかよくわからないけど楽しい。 気候もいい感じ。

藤野あたりは相模湖があるし、山道は結構な山道で途中休憩したらスマートフォンが圏外で笑ったが、道志みちも景色が良い。 ぐるっと戻って今度はやまゆり園のほうに来ても、また橋の上から見える山々と相模川で景色が良い。 なんか開けたところが好きなんだな、自分は。 そう思って振り返ると、中学の頃は学校帰りに公園の階段の上で一呼吸していた気がするし、高校の頃は帰りに桜島が見えるポイントがあったのを思い出した。

9月26日「月命日」(法人祈りの日)の様子 | お知らせ | かながわ共同会 津久井やまゆり園

やまゆり園ね、視界の隅にチラッと見えただけでも、きれいにしているなぁとは思ったが、こういうモニュメントが設置されていたらしい。

帰りの大垂水峠も久しぶりな感じがしたし、バイパスの工事中の様子を見つつ、八王子 IC からまた中央道に乗ったら渋滞していたが止まるほどではなく、安全に帰宅。

御殿場には何度か行っているのにこの楽しさの感覚はなんでかなと思ったが、先月はめちゃくちゃ天気が悪くて景色なんか何も見えなかったんだった。 6 月は天気良かったな。 飯能には何度か行ったが飯能への道にはあんまり景色が良い開けている場所がない気がする。 それにずっと車だった。 バイクで相模湖まで来たのって、2 月に Ninja 400 を借りた時以来なのでは? バイクの給油も 5 月以来だ。

さて GSR250S, 極めて振動が小さなエンジンで安定性も高く良いバイクだと思うが、80km/h 走行で 6 速 6000rpm 回るのは小排気量らしいところ。 結構高めのエンジン音が聞こえることになる。 一般道でも基本的に 4000rpm 前後は最低でも回るようにギヤを選ぶ感じ。 今度の NC750X ではかなり低い回転数になるので、より静かになって疲れにくくなるのではないか。 んで、やっぱり一般道ではクラッチ操作で左手首がきつい。 去年痛めてから完全には回復はしていないんだよな。 NC750X の DCT では左のレバーがないので左手首の負担を大きく軽減できる。 買い換えたい気持ちの最後の一押しはそれかも。

あっ、あとキーの接触不良はまた再発している。 まぁコツがわかっているので、症状が出た時には完全にオンからオフにはせず、途中の位置にしてオンにするを何度か繰り返すと、そのうちちゃんとオンになる、というやり方でごまかしている。 FI エラーが出る症状だとオフにしないと復活しないので面倒だが、今は完全にすべてがオフになってしまう症状なのでこのやり方が良い。

2021/10/03 のコメントを読む・書く


04 (月)

%1 休暇

レンタルカート。 飯能。 3 回乗ってベストタイムは 35.287 秒。 最終コーナーが濡れていたおまけ付きだったが、スポーツ走行の人とレンタル走行のグループのおじさま達の後でだいぶ乾いてくれてこのタイムになった。 7 コーナーをやはりせめすぎないでスッといけると、多少ラインがズレていてもタイムは出るような気がする。 あとスポーツ走行の人のラインを見て、9 コーナーのあと 10 コーナーに向けてアウトに寄せず真ん中から入るようにも変えてみた。

いつ以来かな、だいぶ久しぶりな気がするがカラオケ屋さんに寄った。 西城秀樹の歌を入れたらアニメのちびまる子ちゃんの絵が出てきて、それが昔の絵だった。 ちびまる子ちゃんは今も放送されていて、時代設定が以前と変わっていないのは最近知ったけど、絵については顔の雰囲気がちょっと違う。 今の絵を見たときにめがねの子に目が描かれているのに違和感あったけど、まる子も違うんだな。 アナログ時代はこれだったんだな。

%2 PC

どうも 1GB の HDD もあったらしいことがわかった。 2GiB HDD 導入が 1997-03, Windows 95 導入後。 自分の記憶は間違っていたw 今残っている 2GiB のデータはその 1GB から中身を移したものだろう。 Windows 95 のパーティションサイズが 1GB を超えているので、dd 相当ではなくファイル単位のコピーをしたに違いない。 ただ、Long File Name を含めたコピーはどうしたんだろう? 何か対応コマンドがあったような気もするがすっかり忘れてしまった。 ディレクトリが 1997-03-26 にそろっているのはそのせいか。

1995-06-18 にも何かの HDD 移行をしたんだな。 ディレクトリの日付は移行時期のヒントだ。 その後ディレクトリの日付も移すツールを使うようになったみたいだが、Long File Name はどうしようもなくてディレクトリの日付が残らないツールを使ったんだろう。

1995-04〜06 頃、「マシン語ゲームグラフィックス」に掲載されているプログラムを打ち込んでいた様子がある。 1995-05 頃に BALLEDIT っていうしょうもないプログラムを作っているw ソースコードはもうないかも? DOS のバレーボールゲームのキャラクターの絵を編集しようっていうやつ。 中学校に入ったばかりで暇だったんだろうな (?)

WSR-E の導入は 1997-12 か。 たぶん兄者が秋葉原で安く見つけてきたやつだw 他にもペルチェで頭を冷却するうさんくさい装置などももらった記憶があるw

まぁいいや、小学生の頃の分がやはりあまり掘り出せないな。 1989-10-09 の BASIC のファイルがなぜか別の起動用ディスクに混ざって保存されていたのがあって、「ズッコケ」って名前でなんかの有名な曲が演奏されるだけのプログラムであったw 次に BASIC のディスクが "3" と "4" が残っていて、それぞれ 1990-11 と 1992-03 と思われる。 というのは最初の頃にすべてをルートディレクトリに保存していたら、ディスクに空きがあるのにファイルが作れなくなったり、ルートディレクトリが壊れてデータ復旧困難になったりという悲しい目に遭い、ディレクトリ作ってその中に保存すればいいんだよーというアドバイスをもらって "D" ってディレクトリに保存するようにしていたので、ディレクトリの日付が参考になる。 その "3" がディレクトリの中に 275 個もファイルがあって鬼なのだが (BREAK ON を忘れて DIR すると...)、九九の練習プログラムなんてのもあって小学生っぽい。 が、兄者が書いたプログラムも多数あってよくわからない。 "4" の中を見るとディレクトリよりも古いファイルがあってこれまたよくわからない。 次に古いのが 1991 年の「いろいろ」ディスク。 文字通りのいろいろで BASIC プログラムやら画像やらが混ざっていて、その画像がまた PICG って、なんだっけそれ... みたいな... アセンブリ言語に手を出したのが 1990 年頃じゃないかと思うんだけどわからん。 1991 年の BASIC でも結構 I/O ポートにアクセスして遊んでいるあたりが自分らしいところではある。 JX の頃のアセンブリ言語のディスクで残っているのは "3" と "4" で、いずれも 1993 年に使い始めている (ように見える) が 1992 年の日付のファイルも残っている。 おっ、1992-01-15 のプログラムはフォント読み取りの BIOS を使う機械語入りの BASIC プログラムだな。 確かに BASIC から呼び出したのが最初の頃な気がするんだよな。 画面スクロールの BIOS 呼び出しをするプログラムを見て、見よう見まねか何か。

Windows プログラミング関連は以下が判明:

2021/10/04 のコメントを読む・書く


05 (火)

%1 世間は Windows 11 の話題で持ちきりだが (いや、そんなことはない)

ウチにはあの要求仕様を満たせる Windows PC がないのでアップグレードに挑戦することは...

いや、まぁ、どうせもう月単位で Windows PC は触っていないし、いっそのこと仮想マシンに移してしまえ、っていう案はないわけではない。 そうすれば Ryzen にのっけられるから、TPM や IOMMU なんかは仮想マシンには準備できないけど性能的には全く問題はなくなる。 ついでに、元々は HDD と一緒に買った Windows 7 DSP 版だったので、その HDD も一緒に移せばライセンス上のグレーゾーンもクリアできるだろう。

だがしかし... グラフィックスまわりは未だ仮想マシン上では性能が不十分なのも事実。 できれば実デバイスをパススルーして使いたい。 そのためにはグラフィックスカードを増設しなければならず、しかも PCIe x16 スロットはすでにグラフィックスカードで使用中のため、残る PCIe x1/x2 スロットに対応するグラフィックスカードでなければならない。 さらに、NVIDIA のデバイスドライバーは仮想マシンを拒否するような動作をすることが知られているため、AMD にしなければならない。 そんなものは安価に手に入らないようなので、変換ケーブルを... (アホか?

えっ、デュアルブート? まぁそれも手なんだけど、HP のノート PC でもわかるように、デュアルブートにしたところで片方はほとんど起動しないであろうことは目に見えている。 特に、ウチの Windows デスクトップ PC と Ryzen PC にはキーボードとマウスはつないでおらず、トラブルがない限りリモート操作が前提だから、もはやデフォルト起動に設定してあるオペレーティングシステムしか使わないのでは。

%2 かようび

きのうは暑かったが今日もやや暑い。

DOS/V - Wikipedia を読むと、結構いろんな話が書かれていて楽しい。 PC-98 のマーケットシェアは 1996 年まで 50% を保っていたとある。 なるほどなぁ。

実家に PC-9821Ap2 が導入されたと思われる 1993 年末、あるいは親戚の家に 98NOTE 系の Windows パソコンが導入されたのもその翌年か翌々年ぐらいではないかと思うんだけど、その頃に DOS/V 機を選択していた可能性があったかということを時々考える。 実家ではその前に PC-9801RA があった関係で PC-98 用の市販アプリケーションを多数購入済みで (一太郎、花子、1-2-3、QuickBASIC、VZ Editor など)、Windows アプリケーションがまだ不完全と思える時期であれば PC-98 系の後継機を選ぶのはやはり自然ではある。 仕事用だったこともあって、聞いたこともないような Compaq や Dell が選択肢になかったのは不思議でない。 ギリギリあり得たのが富士通 FMV だろうか。 もしその場合は Windows を FMV で DOS を PC-98 で、みたいに併用していただろうなぁ。 親戚については初パソコンだったはずで、DOS/V 機を選んでいてもおかしくはなかったかも知れない。 1995 年 3 月には IBM の Aptiva も登場したようだ。

今見ても 1992 年頃までの DOS/V にはさすがに手を出すのは厳しかっただろう。 一太郎なんかのアプリケーションがないとね。 一太郎 Ver.4 は PS/55 版もあったと思うが DOS/V 版はあったかどうか。 って思って検索したら YouTube が出てきたw あったらしいw 1993 年には一太郎 Ver.5、Windows 3.1 も出ている。 DOS/V 機 + Windows 3.1 の普及はやっぱり富士通 FMV なんかから勢いがつき始めて IBM Aptiva あたりで決定的になったのかな。 その後の Windows 95 になるともう完全に新世代っぽさがあったような、DOS アプリケーションを使わないなら別に PC-98 の必要はないよね、って感覚はあった気がする。

自分が DOS/V 機に触れたのは、1998 年、高校にあった FMV が初めてになる。 1996 年に導入されたらしいその FMV は Pentium 75MHz で Windows 95、何の変哲もない普通の Windows 機だった。 まぁ厳密には DOS/V ではないが、MS-DOS プロンプトを開けば DOS/V 互換の DOS 環境が動いた。 でもそれが DOS/V 互換って認識はなかったかも知れないな。 実家に SOTEC が入ったのが 2000 年、PentiumIII (Katmai) 500MHz に Windows 98 Second Edition. F8 キーのメニューで CONFIG.SYS を順に処理した時に、最初英語モードで途中から日本語モードに切り替わるのを知ったときは、あれっこれはっと思ったかも知れない。 英語モードがまさかの IBM PC 互換 (JX の英文モードで動いていた DOS ゲームがそのまま動く!?) なんて知ったのもいつだったかねぇ。

2021/10/05 のコメントを読む・書く


06 (水)

%1 Windows 11

HP のノート PC はプロセッサの A4-9125 が Windows 11 未対応のはずだが、Windows Update を出してみると、"この PC で Windows 11 を実行できるかどうかを確認するには、ハードウェア要件を確認するか、PC 製造元の Web サイトにアクセスします" という謎の文言が出ていて、何をどうしたらこんなふわふわな文章が出てくるんだか... [ハードウェア要件を確認する] のリンクをクリックすると、あなたのコンピューターで使えるように今がんばってるからねーみたいな英語の Microsoft サイトが開いて意味不明。 こんな slow processor に対応させる気ないんだろ???

んでもって会社の ThinkPad X240s は普通に "満たしていません" という大変潔い文言が出た。 これは確か Core i5 の Haswell 世代 (4xxx) だったかな、そりゃー無理だよね。 まぁ A4-9125 はもっと遅いはずだが... Spectre/Meltdown 対策関連がマシになったり不要だったりはあるにしても...

んで、こうなったらおもしろいじゃないか、自宅のデスクトップ Windows PC も見てみよう。 8 月中旬にスリープしたまま今日まで眠り続けていたので、まずはたたき起こして Windows Update を実施。 3 時間ほどかけてアップデート・再起動・もう一度アップデートをして、それで Windows Update を見たものの、なんと Windows 11 に関する表示無し!www どうしてそうなるんだw

%2 CHKDSK

CHKDSK でボリュームの作成日時が出るんだな! これで古い HDD のファイルシステムの作成日が...

ウーン、なんか参考になるかと期待したけど、明らかにフォーマット日より新しい日付になっていて、何もわからなかったww FAT のヘッダーにあるんだっけ、と思ったけど、もしかしてボリュームの label の日付か?

%3 1997

1997-03 頃の時点で、実家の Windows 95 のレジストリエラーは頻発していたようだ。 頻発はしていたけど、復元して再起動にするとその次は普通に立ち上がっていた。 あれの原因は不明なのだが、今見ると CONFIG.SYS にわざわざ installhigh=c:\windows\smartdrv.exe /x /u 512 512 を入れてあるのが奇妙にも思える。 でも 32bit ディスクアクセスにはしていたはずなので、ディスクアクセスまわりに問題があったとすれば SCSI HDD のデバイスドライバーのほうだろうなぁ。 (後に Windows 2000 で書き込みが終わる前に電源を切ってしまうという問題が Microsoft から報告されていたはず。PC-98 は手動で電源を切っていたから影響を受けていないけど。) SYSTEM.DAT がやたら不連続になっているのも気にはなるところだが、HDD を移行しても改善しなかったんだから原因ではないね。

1997-05 末は、バスがトラブった修学旅行。 4 台のバスの 2 台目にいて、福岡のスペースワールドという遊園地に向かう途中、高速道路で路肩に止まり、なんだろうと思ったら後ろのほうから白煙が風にのって流れてきて、まさかの乗っていたバスが煙を吐いていたというやつw 路肩に降りて残りの 3 台のバスに分散、自分はすぐ後ろの 3 台目だったか。 それで次のインターチェンジの料金所の手前まで行って待機、しばらくすると道路公団の車に先導されてバスが白煙をもうもうと吐きながらゆっくり走ってきて、トランクの荷物を何人かでせっせと移し (補助席を出しまくったバスの後ろのほうにいたので自分は降りられなかったw)、再出発してスペースワールド、帰りは元のバスより豪華な西鉄バスが待っていたという... 確か、排気管から白煙だったから、オーバーヒートじゃなくてエンジンブローだった可能性あるよね。 オイル上がりの可能性もあるけど、すごく白かった記憶。 やたら白煙が出ていた割にゆっくり自走はできていたから、もしかしたらターボチャージャーかも。

1997-06 に IPA の情報 2 種の合格発表。 地元の新聞に載って、それが学校の廊下に張り出されるっていう謎の事態にw

%4 NP2kai

DOSBox-X では Windows 3.1 までは動きそうだがいろいろ引っ掛かるものがある。 Windows 95 は動かなさそうだし FreeBSD(98) も変な panic でとまってしまった。

どうにもならなそうなものを動かせないかと xnp2 というのを試した。 しかしこれは 80286 のエミュレーションだったのでもっと動かない。 xnp2 のメリットはスピード調節がきくので KATALITH で遊べるところだw

調べていたら NP2kai というのが出てきた。 これがいろんなのがいけるやつ? 試してみるとなんか速そうだし。 ビルドオプションの BUILD_I386 はつけていなくても exdeb を起動すると PentiumPro になっている...? cmake -DCMAKE_INSTALL_PREFIX=/path/to/somewhere でインストール先は変えられる。 結構良さそうだけど手元の HDD image が raw image なのばかりでどうすんの状態w T98HDDIMAGE.R0 の仕様を見つけたからこれ自分で変換しろってこと? まぁ DOSBox-X も NHD 扱えるからそうすればいちいち CHS パラメーターの指定しなくて良くて便利っちゃあ便利だが。

2021/10/06 のコメントを読む・書く


07 (木)

%1 もくようび

夜は川崎までスズキのスクーターでささっと。

帰宅後地震があったが、たいしたことなし。 震度 3 ぐらいかなーと思っていたが、震度 4 が出ていた。 へぇ。 茨城県に住んでいた時みたいに頻繁に地震が来ないから、感覚が鈍ってしまったかなw

%2 緊急地震速報

PHS からスマートフォンに切り替えて初めての緊急地震速報。 っていうか数年ぶりに聞いたな、この音。 スマートフォンでの受信そのものが初めてかと思ったが実は 2013 年に L-04C で経験していた。 その後 PHS でも受信できるようになり、スマートフォン側は何か設定をミスっていたのか (というかデータ通信専用のためにメッセージアプリを無効化していたからか) 長らく受信していなかった。

んで、今回 Y!mobile 契約の Android One S6 が受信したのは良い。 同時に ZenFone Max Pro (M1) も鳴り出したので首をかしげてしまった。 SIM 入れてない端末から鳴るか...? 何経由で受信したんだろう。 インターネット経由で受信するようになっているんだろうか? それとも、まさか最後に使っていた Y!mobile のチャネルを受信だけはしている...?

サービス終了後も電源入れっぱなしにしている PHS は WX01K で、アンテナピクトは表示されているが緊急地震速報未対応端末。 対応端末だとどうなっていたのか興味深いところだw まぁ、今は PHS はテレメトリングのみだからその仕組みはシャットダウンされていても不思議はないな。

2021/10/07 のコメントを読む・書く


08 (金)

%1 きんようび

テレビでやってた映画『今日から俺は!!劇場版』。 2020 年の邦画。 原作は古いギャグ漫画のようだ。 つっぱりヤンキー高校生のけんかがメイン (?)。 主人公の、ズル上等だが無駄なけんかは避け肝心な時には強いって設定も良いのだが、敵役の栄信という俳優さんが布袋寅泰みたいなインパクトのある大きな体にいかつい顔で、とても似合っていた。 男子は笑えるぐらいに髪の毛をとんがらせていたり金髪にしていたり、女子は長めスカートセーラー服に髪型も特徴的で、典型的な昭和のつっぱりヤンキーといった風だが、誰もたばこをくわえていないのは今風だったw

%2 NP2kai と DOSBox-X

ディスクイメージ変換ツールをこしらえたのでいろいろ試した。 DOSBox-X と両方で使うには NHD フォーマットはヘッダーが 512 バイトだと最終セクターの扱いに都合が悪いみたいで、今時のディスクのことも考えてヘッダー 4096 バイトで作った。 (なおパーティションの位置が今時のストレージ事情にあっていないので結局意味はないw)

NP2kai は MS-DOS 起動時の 2 秒待ちがない? これは時計回りの挙動に何か問題があるんだと思うが (実機で電池切れで時計が動かなくなっていた時、何秒待っても進まない状態になったw)、それにしては FD などちゃんと動いていてよくわからないところがある。 あとちょっと DOS 関連で挙動が怪しくて EMS/XMS/UMB がうまく組み込めていないのはどういうわけなんだろう。 EO System のビープ音で PCM を鳴らすのもうまくいかないらしくハングする。 SCSI じゃなくて SASI だからか知らないが FreeBSD(98) の起動に失敗するのもかなしい。 DOSBox-X と違ってカーネルを読み込む以前にローダーがうまく動かないもよう。 しかし、Windows については DOSBox-X よりまともに動きそう。 音も鳴るし、グラフィックアクセラレーターのエミュレーションも実装されているっぽい? まぁ当時のオペレーティングシステムはデバイスがあってもデバイスドライバーがないとどうにもならないけどねw

DOSBox-X は 2 秒待ち OK, EMS/XMS/UMB OK, ビープ音で PCM も OK だが EO System のキー入力が受け付けられないことがあるなど微妙におかしい。 このへん昔 Windows を使っていた頃に触った T98-Next あたりのほうがうまく動いていた気がする。

まぁなんか、昔の環境は常駐ソフト (TSR) がめちゃくちゃ多くて何が悪さしているのかわからないw よくもまぁここまでいろいろ組み込んだものだ。 当時の自分に聞けばこれはこれこれに必要でと答えられるかも知れないが、せっかく HSB って武器もあったんだからもうちょっと用途別にしてもよかったんじゃないかって気もするw TSR を整理すれば案外動くのかも知れない。

%3 80386 のアップグレード

ふと思ったんだけど、1993 年末に実家に 9821 が導入されたタイミング、あの時にそうせずに 9801RA の Cx486DLC をさらに次のものにアップグレードするという手はあったのかなと。 CPU をクロックダブラー系の 486 にして WSR-E みたいなグラフィックアクセラレーター (兼 PCM サウンド) を追加し、場合によってはディスプレイをマルチシンクに変えれば、Windows 3.1 までなら何とか乗り切れたんじゃないかという気もする。 i486DX を使うアップグレードのものも存在したようだ。 メモリーキャッシュもハードウェア管理のものがあったそうで、DMA はどうやっていたんだろうな?

というわけで、もしあの時に CPU 交換を選択していたなら、Windows 95 への移行に合わせて PC/AT 互換機ってのが可能性としてはあったのかもなぁ。 それこそ、高校にあった Pentium の FMV なんかは、HDD や CD-ROM ドライブ内蔵で仕事にも十分使えて PC-98 より安い価格帯だったんじゃないかな。 まぁー 1990 年代はパソコンの進化がハードウェアもソフトウェアも著しかったし、後から振り返ればそうかもねってレベルの話なんだろうけど。

2021/10/08 のコメントを読む・書く


09 (土)

%1 どようび

のんびり。

今年 5 月ぐらいにちょろっと咲いたっきりだったミニバラが、ここに来てまたちょろっと咲いていた。 この季節に咲くんだ。 あまりにも自分の保守がいい加減なせいもあるだろうが、今年の気候もやや過酷だったのではという気もする。

1998-02 に実家で短い SCSI ケーブルを導入したんだな。 SMIT 転送対応の SCSI カードをいつ導入したんだったか記憶にないが、とにかく Windows 95 になっていろいろと性能が上がったために、ケーブルが長すぎるのが問題になっていたんだった。 その時つながっていたのが 4 台... 2GiB HDD, CD-ROM, MO, あとフラットベッドイメージスキャナーか? 確かに数台つながっているのを短いケーブルでみちみちに並べてつないだのは記憶にある。 中学生の時か。

自分のではない古い日記を楽しむ。 C-x C-k r なんてあったのしらんかったぞw 前使っていた NEC の FAX 電話機がたまに謎の FAX 受信モードになっていたの、自分の時は留守電録音中だったけど、もっと過去にもモデム通信中にという変なトラブル起きていたんだな。 たぶん根本的にノイズに弱かったんだろうな。 MEME (ミーム)-NET という知る人ぞ知る (?) BBS で E メール開始したのが 1994-10 だったのかな。 情報 1 種合格情報は 2000-07-01 にわかったのか。 フーン。

%2 モデム遊び

午後、SNS で「モデム」という言葉を見かけて、関係ないけど家の中から古いモデムを発掘してきた。 大学入学時に兄者からもらった物。 1998 年 4 月購入の年代物だ。

モデム マイクロ総合研究所 MR560XL

10 年以上箱を開けていなかったんじゃないかと思うが、久しぶりに中を覗いたら、使ってみたくなった。 電源を入れてみると一応ランプは正常に光っている様子。 自宅にあるシリアルポートがついているパソコンは、ThinkPad X31 と Windows デスクトップ PC の 2 台しかなく、前者は最近正常に動作しなくなっているので、後者を使うしかない。 25 ピン 9 ピン変換のシリアルケーブルも発掘してきて、接続、久しぶりに Tera Term Pro をダウンロードして接続を試みたものの、いろいろ試してみても説明書にある TR ランプ? が光らず、うまくいかなかった。 ケーブルか本体がだめなんだろうけど...

まぁいい。 ウチにはモデム内蔵パソコンが複数ある。 PowerBook G4, ThinkPad X31, ThinkPad X201 だ。 このうち X31 はやはり使えず、X201 は GNU/Linux 環境しかなく (どこかに Windows の入った HDD をしまってあるはずだが...)、PowerBook は Mac OS X が残っているので OK だ。 あれ? 使えるのは 1 台しかない?

んでもって、あのピー音を聞くには電話回線につながなければならない。 Aterm IW50 という ISDN ルーターを 2004 年に手に入れており、これで内線環境が構築できる。 味ポン AH-J3002V も発掘してきて、構内 PHS として機能することを確認。 Aterm IW50 のシリアルポートを使って Windows PC のシリアルポート (COM2) が生きていることも確認。 後は PowerBook を使い、そのモデムから AH-J3002V あてにダイヤルを試みる。 モデムは /dev/tty.modem のようだ。 あとは cu コマンドがなくて途方にくれそうになったが、GNU screen が入っていたので、screen /dev/tty.modem 115200 でモデムにつながった。 それでダイヤル... あれ? つながらない? 子機である Aterm RS20 も引っ張り出してきて、その電話ポートに PowerBook をつないだら、つながった。 PHS のスピーカーからピィーーー!

さぁてね、これの相手のモデムもつなぎたいんだが... モデム内蔵はパソコン以外にハンドヘルド PC の HPW-200JC (ペルソナ) があるぞ! 探すこと小一時間、何とか見つけ出し充電を試み、電源が入らない。 何かキーが引っ掛かっているのかもといろいろ押したり電源つなぎなおしたりいろいろやっていたら、画面がチラッ! もいっちょ Power ボタンを押したら、出てきた、が、液晶がだめだ!

HPW-200JC のぶっ壊れ液晶...

液晶が中で漏れてんのかな、これ... まぁ何とか見えないこともないので操作していって、ターミナルを開き、COM5 (内蔵モデム) に接続。 直接ダイヤルさせるのはうまくいかなかったので手動にして AT コマンドを打ち込む。 問題は RS20 が 1 台しかないところで、受け側 PowerBook を IW50 の電話機ポート A につなぎ、RS20 の HPW-200JC から #*1 にダイヤルするとつながった! 内線で楽しむ懐かしネゴシエーション音! リンクスピードは 14.4kbps から 16kbps 前後になるようだ。 RS20 を経由しているため PHS みなし音声になっており、こんなもんだろうと思う。

というところまで 5, 6 時間かけて遊んだw IW50 の電話機ポートはオフフックしてもビジートーンが流れてしまって発信側としては使えなさそうなのがアレだった。 INS 回線がないから? あ、でも、RS20 で試していた時も、電話線にノイズフィルターがつけてあるとだめだったみたいで、外すとうまくいったのがあったな。 ビジートーンにならなければ IW50 1 台で内線接続できるよな。 PHS みなし音声でなければもっといいスピードが出るはず。 HPW-200JC のスペック上 33.6kbps が限界か。

なお、19 年ほどアナログモデム生活から離れていたおかげで、何もかも忘れていた。 まず、モデムには電話線をつなぐポートが LINE と PHONE のふたつあり、PHONE のほうはオプションで別の電話機をつなぐことができる。 昔実家で使っていた時は、電話機の手前で分配して、別の部屋まで長い長い電話線を引っ張っていたので、そのポートは使っていなかったんだ。 でも自分が学生宿舎で使っていた時にはこのポートを使っていたはずだな、分配器持ってないし。 それから、シリアルポートの通信速度、モデム側に設定があるかとマニュアルを探したんだが、なさそうだった。 自動検出なのか。 具体的にどのスピードを使っていたのかもすっかり忘れていて、たぶん 115.2kbps だっただろうな。 実家の PC-9821Ap2 は 19.2kbps までか 9.6kbps までか何か、で、28.8kbps モデムを使うのにそれでは遅いから、921kbps ぐらいまで行ける拡張カードを追加していたっけ。 実家の SOTEC M350V はリレー音がやたらうるさいソフトウェアモデムを搭載していた。

ああー! もしかしてこのとき買ったクロスケーブルか! だからモデムがつながらなかったんだ! なんで 9 ピンオスの妙な変換器が付いているのかと思ったけど紛らわしい! あれ、でもそれじゃあ 25 ピン 9 ピンのケーブルってどこいったんだ??

%3 AT コマンド

モデムのコマンド、PHS のデータ通信にも使っていたので ATZATDT 電話番号 ぐらいは覚えていたが、かかった後どうするのかとか、かかってきた時にどうするのかとかは実は知らなかったので、Hayes command set - Wikipedia を見ながら操作した。 電話回線の動作テストにも使えそうなコマンドがあるんだな。

片方から相手にかけて、もう片方で応答をすれば、ネゴシエーションは勝手に行われて、CONNECT スピード が出て接続は確立する。 PowerBook ではシリアルポートのスピードが出るようで 115200 と出ていた。 HPW-200JC ではちゃんと 14400 といった接続スピードが出ていた。 確立した後は片方で文字を打ち込めばもう片方に出てくる状態で至ってシンプルな全二重通信。 昔のパソコン通信のクライアント側としては、このレベルの知識とシリアルポートの端末とモデムがあれば、最低限楽しめたことになる。 サーバー側を作るのもそう難しくはなさそう。 "UNIX プログラミング環境" に載っていたような Unix システムへの接続も、これで login プロンプトが出たんだろう。 へぇー! 後のインターネット接続ではここに PPP を流していたわけだ。

意外だったのは応答周り。 おそらく PowerBook も HPW-200JC もソフトウェアモデムなんじゃないかと思うけど、ちゃんと自動応答も実装されているようだ。 ハンドヘルド PC で応答ってほぼ使う機会なかったと思うけどなw

2021/10/09 のコメントを読む・書く


prev, this, next

/var/log/hdk.log コメント一覧

トップ / 日記索引 / 日記 (2021 年 10 月上旬)

Hideki EIRAKU