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2024 年 1 月中旬

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10 (水)

%1 すいようび

晴れ。 寒い日。 在宅勤務。

冬休みに発見したことその 1。 Android のタイル (通知部分のやつ) の編集で「色補正」が追加できるようになっている。 Android 12 だった前の端末には見当たらないので、Android 13 からついたのか。 これはありがたい改良だ。 色補正オンのままだと写真なんかがどうしても妙な色に見えてしまうし、かといってオフにすれば読めない資料もあるしで、必要に応じて切り替えたいからね。

冬休みに発見したことその 2。 KATALITH というゲームのパニック画面に出てくるプログラムが Pascal だ、って話を先月書いたが、もしかして KATALITH 自身が Pascal で書かれているのでは? という話になり、バイナリを眺めたところ Pascal で間違いなさそうだ。 引数をスタックで渡し、callee がスタックポインターを戻してリターンするタイプの Pascal 呼び出し規約。 当たり前のように FAR CALL。 そして極めつけは文字列の先頭にバイト数が 1 バイトついている。 おそらく Turbo Pascal か何かの (short) string 型だろう。

Turbo Pascal のことはよく知らないけど、もしかして機種依存のグラフィックス関係のライブラリか何かが付属していたのではないかな? KATALITH の、シンプルな割にやや遅いグラフィックス描画はそれによるものなのではないか? (つまり BASIC で書いたプログラムみたいになっていたのではないか。) そしてキー入力に raw モードの入力を使っているのも、そういう標準機能を使ったものなのでは。 数字の桁があふれると表示が崩れるのなんかも、それこそ BASIC で言うところの LOCATEPRINT とかみたいな標準機能で実装されていると考えれば納得はいく。 あ、まぁ BASIC の可能性も否定できないのかも知れないけど、BASIC じゃないと思うんだよなー。 というのはわずか 72 KB のバイナリなんて確か N88-BASIC(86) や QuickBASIC だと無理じゃなかったっけ? Microsoft BASIC Professional Development System は最適化が強力だったので小さくできたけど、文字列のところの格納のされ方は違って、長さが 2 バイトだ。 それに BASIC だと BASIC のエラーメッセージが入っている。 やっぱり Pascal だ。 図書館に Turbo Pascal の本が 1 冊あるようなので今度見てみよう。

さてその KATALITH, ドキュメントが失われているのでアレなんだが、名前をリストに追加する方法をやっと見つけた。 テンキーを使って右側のカーソルを賢者の分身と並の分身以外のところに動かした上で、i で追加らしい。 削除は o みたいだ。 昔どうやって追加したんだっけなー、なんて思っていたがやっと判明したw

2024/01/10 のコメントを読む・書く


11 (木)

%1 もくようび

晴れ。 寒い日。

夜、図書館に行って、Turbo Pascal の本を借りたのと、古い朝日新聞を閲覧した。 この前見つけた大学合格者にあった父の名は、他に受験したという地元大学の分もあるんじゃないかって話もあったが、見当たらなかったw ま、それはいいとして。 子供の頃お世話になった小児科の医師の名前は、そこから 3 年前の鹿児島大学の合格者一覧にあった。 その 3 年後にはその弟とおぼしき名が同じく鹿児島大学の合格者にあった。 まあまあ珍しい名字なので間違いないだろう。 「医学部 進学課程」と書かれている。 兄弟そろって同じ高校から同じ大学の同じ学部へ、すごい! (そういう書き方だと自分もそうだけど)

子供の頃お世話になった皮膚科の医師の名前は、鹿児島大学の合格者のところは翌年まで見たけど見つけられなかった。 当時はまだ女性の合格者が少ないので、名字が違っても見つけられると思ったが、高校からスッと大学にいったわけではないのかな? あるいは大学が違った? その他に、時代を感じるのは、留学生の「特別入学許可」に、なんと沖縄の人も含まれる。 沖縄から 6 人、うち 2 人が国費で留学、みたいな... 返還前って感じがする!

朝日新聞の記事は 1985 年以降の分は検索ができると思っていたけど、試しに 1995 年 4 月あたりの地域面を開いて、見ながら検索キーワードを入れてみたら全然出てこない。 個人情報云々が全く関係なさそうな、日本エアコミューターが就航みたいな記事すら出てこない。 地域面の検索はあまり期待しないほうがいいようだ。

"TURBO Pascal によるデータ・図形処理"、伊藤 誠 (著)。 昭和 63 年 6 月 20 日発行。 これ図形描画の話も載っていて、おっ、と思ったんだけど、「ここでは、独自の図形パッケージを利用します」だって?w 一応、「CORE, GKS などの標準化パッケージが提案されていますが」との記載はあるものの、この本では独自仕様のようだ。 んで、その独自パッケージは {$I TGPACK.PAS} で読み込むという説明はあって、各サブプログラムの説明もあるものの、実装はどこにも載っていないww 「本書掲載プログラムをプロッピーディスクで別売いたします。」(たぶんフロッピーディスクの誤り) とあるのでたぶんそのディスクには含まれていたんだろうが、今更入手不可能なやつだなw とまぁ知りたかったところはわからないという残念な結果ではあったが、この本、いわゆるデータ構造とアルゴリズムで習ったようなソートや木構造や経路問題の話から、図形の塗りつぶし、3 次元図形 (ワイヤーフレーム)、スプライン曲線などかなり幅広くカバーしているのは立派だ。 なお、あとがきによると、この本は一太郎で書かれているそうだ。 Laser Shot で B4 に印刷して写真製版、「図や章題は貼込み」となっている。 「残念ながらいまだ我国では Desk Top Publishing の環境は熟成しておらず」などとも書かれているが、すべてが等幅フォントなことに目をつぶればなかなかちゃんとした仕上がりになっているのではと思った。 1988 年だとまだ日本語版 LaTeX はなかった頃だろうし、TrueType フォントもなくて、印刷にはプリンター内蔵のビットマップフォントを使っていたもんね。

2024/01/11 のコメントを読む・書く


12 (金)

%1 きんようび

晴れ。 寒い日だけど昼はきのうより少し暖かかった。 そういえばきのうはちょっと曇っていたっけ? (いい加減な...)

そうそう、おみやげは以前「西郷どんの力餅」という 3 箱セットで 700 円ぐらいのやつを買ったことがあって、箱が小さくて邪魔にならないし、値段の割にはもらった人は喜んでくれるというお得なやつだったなと思ったらそれは残念ながらこの前は見当たらなかったんだけど、代わりに (?) 同じサイズの箱で黒糖の小さな饅頭みたいなのが 10 個入りの箱で 3 箱セットで 864 円であって、それを職場等に持っていった。 黒糖だから鹿児島っぽいし (どちらかというと奄美だろうけど)、一個食べてみたらおいしかった。 商品名を忘れてしまったので来週確認しよう。 レシートには九面屋としか書かれていなくて。 それと、歴史あるど定番、ボンタンアメをレンタルカートのスタッフさんに... かつ、ぞろ目タイムが出た人に飴プレゼントの選択肢のひとつにw 小さな箱が 6 つ入ったやつ。 ボンタンアメ自体は関東のスーパーなんかでも普通に買えるけどね。

そんなわけで仕事の後にレンタルカート。 あきる野 U-KART。 2 回乗ってベストタイムは 25.195 秒。 12 分走行の人達と比べると 5 分ではタイヤが温まりきらず、自分の腕では 24 秒台には入れられなかった。 常連の人達は明日のレースに向けてぴりぴりしながら準備をしており、大変そうだったw

車は塗装で預けているのでバイクで行った。 寒かったけど、まぁ、何とかなる気温。 5 度ぐらいかと思っていたけど後で調べると 8 度ぐらいあったようだ。 だからか。 足は冷えるが、手はナックルガードのおかげで意外と何とかなる。 前の NC750X ならナックルガードがなかったからグリップヒーターのスイッチを入れていただろうな。

あきる野に仕事の後に行くと夕食をどうするか問題が。 マクドナルドに寄ったり、もと浜勝のリンガーハットに寄ったりしたことがあるが、今日は何となくチーズ牛丼の気分だと思って、すき家を頭の中で思い浮かべていた、が、地図を見ないでバイクで走行中に考えており、頭の中ですき家の場所が帰り道から離れたところしか出てこなかった。 松屋はたくさん思い浮かぶ。 ウーン、じゃあ松屋でいいや、ってんで松屋に寄ってチーズ牛めしを食べたら期待していたより美味かった。 ちょっと安っぽいチーズの味がするがそういうのもジャンクフードっぽくて悪くないな。 で、後で地図を見たら拝島経由のルートを選んでいればかなり近いところにすき家があったのね。 へぇ。 あと石川パーキングエリアの上り線には吉野家があるらしい。 さっさと帰りたい時はそういう選択肢もありだな。 国立府中インターチェンジのところにも吉野家があるようだ。

2024/01/12 のコメントを読む・書く


13 (土)

%1 どようび

寒い日。 夕方北風になって急激に気温が下がりめちゃくちゃ寒くなった。

昔実家にあった (というか確か近所の本屋で買ってもらった) ドラえもんの道具の本、「ドラえもんひみつ道具完全大事典」(1994 年) というのが国立国会図書館で検索すると出てきて、小学生の頃だからこれかなと思って... なんと国立国会図書館で検索すると、全国のどの図書館に所蔵があるか出してくれる。 その中で川崎市立図書館は貸し出し中になっていて、相模原市立図書館は在架になっていたので行ってみた。 図書館というか公民館にある図書室だ。 本はあって、中を見てみたら、見たことあるようなないような...w 道具の解説と、漫画が交互に出てくるような記憶だったが、それはそうなんだけど漫画部分は 4 話ぐらいしかなく、残りは道具の解説だった。

そっからめじろ台を通って西八王子でラーメンを食べ、日野バイパス経由で帰る途中に図書館に寄って新聞閲覧。 1996 年度の鹿児島地域面の大半を... いろいろ物騒なニュースがあり、いろいろと景気のいい話や悪い話もある。 例えば県庁移転があった年であり、西田橋の解体が済んだ年であり、翌年度のかごしま水族館のオープンに向けて準備が進められていることもあり、西鹿児島駅の駅舎が新幹線に向けて新しくなった年であり、新幹線のトンネルも着工に向けて進んでいて... 道路は、姶良町のバイパス開通、鹿児島市は谷山街道線開通、谷山臨海大橋開通、鴨池トンネル開通など。 大浦町では電話回線を利用した地域情報通信システム「ふれあいトークおおうら」なんてのもできたらしい。 防災無線ならぬ有線放送システムがあったのは記憶にあるが、有線放送の代わりに電話を使って何かやるのがあるというのは東北出身の人からも聞いたことがある。 現在の霧島市の誕生に向けて、当時はそれが「南九州市」という仮称で合併が議論されていたこともわかった。 いやぁ、実際に誕生した南九州市と比べると、今の霧島市のほうが工場なんかもあってだいぶ北九州市の反対側っぽいエリアだなぁ、みたいな... そして霧島市の某公立小学校もこの年に完成している。 「鶏にインフルエンザ」、そっか、鳥インフルエンザじゃなかったんだ、当時は。 というか 1997 年 2 月時点で「鶏にインフルエンザ」が鹿児島県でニュースになっていたんだな。 1 月・2 月頃は学級閉鎖等のニュースも多く、インフルエンザだったり「集団風邪」だったり。 自然という点では台風直撃や、「霧島大噴火想定」で防災マップ作製なんていうニュースも。 図には新燃岳もあり、実際 2011 年に大きめの噴火したもんなぁ、大噴火ではなかったけど。 1996 年の O157 食中毒騒ぎは、給食を 2 週間ぐらい冷凍保存しておくか何かでその冷凍庫が夏休み明けに間に合うのか? みたいなのが話題になっていて、出身中学校はフツーに間に合っていた、というのを覚えているんだけど、当時の新聞を見ればなんと 6 月下旬頃にはすでに O157 の話が出ていて、そうして全国で流行っていた中で 7 月に堺市のひどい集団食中毒があって、それで夏休みに冷凍庫の流れか。

学校関係のニュースは 1996 年は特にいじめ関連が目立っている。 なぜかというと 9 月に知覧中で 3 年生徒がいじめを苦に自殺というのがあって、その翌月にはいじめをした側の父親が自殺など、命が失われるような事態で様々なところが動いたようだ。 なお 9 月には伊敷中の自分と同学年の女子生徒の転落死もニュースになっているが、それは自殺だったのか事故だったのかは不明なのか特に触れられていない。 そもそも報道もされていないケースも多いだろうから、氷山の一角なんだろう。 まぁしかしそういうことがあったから、中学校の教職員達もいろいろと仕事が増えていたんだろうな。

1996 年に記事にはなっているが誕生しなかったもの。 錦江湾の奥の国分隼人加治木あたりと鹿児島市、それに鹿児島市と根占を高速船で結ぶという海上バスの構想。 記事でも「採算性不明で構想に壁」となっていて、実際実現しなかったね。 その高速船が出てくる理由のひとつとしてなのか、鹿児島空港までの時間短縮は 30 年ぐらいは見込めない、みたいなことが記事に書いてあったが、実際の空港リムジンは、21 世紀に入ってからだったと思うけど、吉田を経由しない直行バスができてちょっと短縮したよね。

弥五郎伝説の里は 1996 年 5 月に開園したそうだ。 当時は公園 (?) だったらしい。 道の駅となっている今の道の駅おおすみ弥五郎伝説の里には何度か立ち寄っていて、去年の夏も自分の車で立ち寄っている。 志布志のフェリーターミナルに向かう途中でね。

沖永良部の下平川小学校の校舎に太陽光発電のニュース。 1996 年 5 月 25 日。 校舎に太陽光発電導入というのは公立小中学校の中では全国で 2 番目、1 番目は京都の八木中学校だったらしい。 余剰分は売電、などという概念が 1996 年当時からあったんだ、ということに割と驚いた。 ここ 15 年ぐらいの用語なのかと勝手に思っていたので... 鹿児島県には川内原子力発電所はあるものの、遠く離れた離島まで引っ張っていけるものではないので、離島は離島で独立した発電所を持っていて、屋久島は水力発電で有名だ。 沖永良部は普通に火力発電。 小さな島では火力発電所が本当に一か所だけみたいな状態で、島外から引っ張ってくることはできず、台風、水害や地震などの災害を考えれば複数の電源の選択肢があるほうがいいだろうから、昨今の太陽光発電の普及は悪い話じゃなさそう。 空き地に太陽光パネルを並べる、みたいなのはこんな小さな島だと電力が余ってしまうことにもなりそうだけどね。

2024/01/13 のコメントを読む・書く


14 (日)

%1 GNU Emacs

GNU Emacs 28.2, eln (native compilation) は迷惑だが、IIIMECF を使ってカギ括弧のペアを閉じで終わるように入力した時にトラブルが起きなくなっているみたいだ。 今までカギ括弧で終わらないように後ろにひらがな入れたり句読点入れたりしてごまかして使っていたけど、あれは骨董品の IIIMECF (2007-12-07 0.72) のせいではなかったんだなw

まぁ、eln のほうは iMac (i5-4260U) でも 1, 2 分 CPU を食っているのに気づいたことがここ 2 か月であったものの、やはり 4 コア 4 スレッドもあればそれほど深刻な問題ではない感じ。 HP のノート PC (A4-9125) は 2 コア 2 スレッドなのでやや厳しいかなというところだけど、それも自宅サーバー PC (Atom Z530) の 1 コア 2 スレッド・in-order 実行の遅さと比べたら別次元だ。

%2 フロッピー

フロッピーディスクとドライブの技術とビジネス発展の系統化調査 | スラド ハードウェア

中の人の楽しい歴史解説記事なんだけど、少し妙だなと思うところがある。 マイクロフロッピーディスク (3.5 型) の話で、IBM が PS/2 からマイクロフロッピーディスクに切り替えたとする話、完全に日本 IBM の JX の話が抜けている... のは別にいいんだ。 いいんだけどさ、1984 年 10 月発売の JX には 2DD (720 KiB) のマイクロフロッピーディスクドライブが搭載されていたんだぞ? (ミニフロッピーディスクドライブは拡張ユニットでオプション) この記事を見るとソニーの OA-D33W が 1983 年に出たとなっていて、両面対応と 300 rpm なのはそれしかないだろうか。 だから一応ドライブはあったというのは良くて、日本では MSX も同時期に登場しているし、ワープロ専用機の文豪ミニなども 1985 年頃からマイクロフロッピーディスクに対応したモデルを出している。 妙なのはそういう話にはこの記事では一切触れられていない。

1987 年の PS/2 は大きく取り上げられているが、日本国内版の PS/55 は当時の PC-98 と比べるとほとんど存在感はなかっただろう。 確かに 1440 KiB フォーマットには PS/55 は対応していたけど、PC-98 や、後の FM TOWNS だって登場当初は対応していなかったぐらいだしな。 国内視点で見たら、ワープロ専用機でマイクロフロッピーディスクが一般的になり広く知られるようになり (おそらく当初は 2DD)、パソコンはミニフロッピーディスクを含め 1232 KiB が 5 年以上主流だったが Windows 3.1 の登場以降にちょっとずつ 1440 KiB が広がってきた、みたいな、そんな感じじゃないの。 そのへんの話を中の人が知らないわけはないと思うので、(日本語で書かれているものの) アメリカ合衆国向けに意図的に削った記事じゃないかと思った。

あとソフトウェアの話はさすがにハードウェア屋さんはあまり詳しくないのかもねというのが、DOS がいつから 720 KiB をディスクサポートしたか、みたいな話には特に触れられていない。 おそらくアメリカ合衆国の IBM 互換機の世界では DOS 3.x が最初で、日本では DOS 2.x で 720 KiB や 1232 KiB をサポートしている。 これはソフトウェア面では機種依存部分のデバイスドライバーが対応しているかどうかだけの話のようなので、日本版ではそれが一足先に実装されていただけ。 JX はもちろん IBM 日本語 DOS 2.x で 720 KiB が扱えていたし、PC-98 も一太郎 Ver.3 に付属の MS-DOS 2.11 だって、1232 KiB フォーマットだし、エミュレーターで見る限りは 720 KiB フォーマットを問題なく認識する。 その MS-DOS 2.11 の FORMAT コマンドをスイッチなしで立ち上げると選択肢が 640(KB) と 1(MB) しかないが、/9 スイッチは認識される。 ま、そういう事実からしても、パソコンやドライブやコントローラーを作っている会社が複数あった当時の日本にはかなり強みがあったのは間違いなく、それを無視した記事は不思議である。

今思えば、実家で JX の後に導入された PC-9801RA2 はミニフロッピーディスクドライブ仕様で (32 ビット機がそれしかなかったんだから仕方がない)、JX がマイクロフロッピーディスクドライブだったからわざわざ外付けドライブを増設して使っていた。 外付けドライブがソフトウェア的に最初に来るようにディップスイッチで設定できたので、それで切り替えてマイクロフロッピーディスクを主に使っていればよかったんだろうけど、あの時ミニフロッピーディスクをメインに使い始め、割と長く使い続けたのであった。 その結果次の PC-9821Ap2 の時にミニフロッピーディスクドライブ仕様を選択してしまう過ち (今となっては笑い話) をおかし、外付けドライブで 1440 KiB を使うのに手動で回転数スイッチを切り替えなければならないという面倒な環境が誕生してしまった。

なんとなくミニフロッピーディスクのほうが信頼性が高いのではないか? という認識があったが、それは、ドライブのヘッドにカビを残してディスクを傷だらけにするカビディスクがわずか 7 年程度の使用期間で爆誕したことで崩壊した。 そのカビディスクに苦しめられたのが 1996 年頃、古い JX のマイクロフロッピーディスクのバックアップを取り始めたのが 1998 年末ぐらいからで、おそらく大学入学直前の 2001 年 3 月 3 日に集中的にやったと思われる。 つまり後から使い出したミニフロッピーディスクのほうが早くカビにやられた、10 年持たなかった、そういう認識になった。 (全部いっぺんにだめになったのではなくて、目視でわかるぐらいはっきりカビが生えたのと、そうじゃないのが混ざっていたと記憶しているが、同じ棚の低い位置、条件的には不利であろう側に置いていたマイクロフロッピーディスクが全部無事だったから、シャッター付きのマイクロフロッピーディスクのほうが遙かに長持ちしたんだろうとは今でも思っている。)

なお 1997 年か 1998 年頃には実家にも光磁気ディスクドライブ Logitec LMO-230H (OLYMPUS MOS331) が導入されて、データ保存の苦労からだいぶ解放されたのだった。 光磁気ディスクはその後の書き込み可能コンパクトディスクと USB (ホストコントローラーと、フラッシュメモリーやメモリーカードリーダーなどのデバイス) の普及もあって市場から消えるのは早かったが、メディアの物理的な寿命そのものはダントツに長かっただろう。 光磁気ディスクやコンパクトディスクの非接触型ヘッドによるアクセスは、カビディスクに苦しめられた経験からすれば魅力的な存在でもあったw

%3 にちようび

晴れ。 めっちゃ寒い日。 氷点下!

そうそう、今季は朝リビングが 12 度以下ぐらいまで冷えるようになってガスストーブを出そう出そうと思い始めてから数週間、まだ出していない、みたいな感じなんだけど、その最大の要因は、去年買い換えたリビングのエアコンについている遠隔操作機能だな。 朝トイレに起きて、こりゃー冷えるな、と思ったら、寝室に戻ってぬくぬくしながらリビングのエアコンにアクセスし、室温を確認したり起動したりできるのである。 今朝はそのエアコンが室温を 7 度と出していた。 朝起きて 7 度だったらそりゃもうストーブの前でぬくもらないと... という感じだが、先にエアコンを起動して、小一時間してから移動すればもう 15 度ぐらいにはなっているので、まぁいいか、みたいな。

逆に寝る前に寝室のエアコンを起動というのもできたらいいけど、そっちのエアコンはまだ古いままなので... まぁでも、風呂を準備する時に起動しておけば寝る頃にはそこそこ暖かく、みたいな方法があるので、朝のリビングほど重要ではないな。 入タイマーってのもあるんだけど、なんとなく自分のその時の意志にかかわらず起動してそのままになるのが嫌で使ったことがない。 あと室温に合わせて自動的に電源が入ったり切れたりする「室温みはり」という機能もあるんだけどこれも使ったことがない。

きのうの「姶良町のバイパス開通」っていうのは、加治木のバイパスではなくて、国道 10 号姶良バイパス、重富から帖佐あたりのバイパスか。 「姶良バイパス店」などの名前としてたくさん残っているが、「姶良バイパス」がどこからどこなのか、web で検索してももはやわからなくなっている。 たった 25 年でこれだよ、歴史というのは難しいものだ。 加治木インターチェンジのところは加治木バイパス。 2012 年に完成しているが、2008 年には一部開通しており、その 2008 年に自分の車でうっかり加治木インターチェンジに入りかけて転回して脱出した記憶がある。 このへんはインターネットが普及した後なので比較的情報が残っている。 姶良バイパスは姶良市の資料によれば 1998 年に 2 車線で全線開通し、2002 年に 4 車線化されたらしい。 その前から部分部分で開通しているから後から振り返るのは大変なやつ。 東京多摩地区で言えば日野バイパスなんかもそういうのだろうけど、日野バイパスは Google Maps なんかにも名前が入っているからまだいい。 甲州街道は旧道にも今も名前が残っているからまだわかりやすいものの、大垂水峠あたりも微妙に形が変わって車で走りやすくなっているので、江戸時代に使われた本当の旧道を見つけるのは難しい。

ABEMA の広告がまた音だけじゃなくなったw

テレビドラマ『となりのナースエイド』。 1 話。 足りていないナースエイド。 熱い主人公。 1 年半前のテレビドラマ『祈りのカルテ』に研修医として出ていた若手俳優がナースエイドだったり、医師として出ていたベテラン俳優がポンコツ医師だったりする。 あこがれの医師がいる病院に入った 29 歳未経験ナースエイド。 となり (物理)。 越権 (?) 行為。 主人公は何者か。

テレビアニメ『葬送のフリーレン』。 18 話。 大陸魔法協会。 一級魔法使いの試験。 五級魔法使いの資格が... なくてよかった。 せいじょうのあかし。 無資格受験w 三級、「一番試験の日程が近かった」、アクセントが一番試験に聞こえたw 試験の準備の場面はさっと進んで試験本番に。 熟練の老魔法使いみたいな魔力w パーティーにわける。 波風立てないように気をつける... もう/まだ/またけんかしてる。 パーティーで一緒になったふたりは熟練の老魔法使いとは口にはしていないけど、扱いは完全にそれだなw

ABEMA の将棋中継、朝日杯。 ふたつの対局を同時中継で画面が小さくてよく見えないw 考慮時間が比較的短い対局みたいですごい勢いで進んでいった。 解説もどっちを解説したものかという勢いでどちらも... 解説板がタッチスクリーンになっていて、便利そうだが、棋士が慣れていないと誤操作が頻発...w 藤井竜王名人と斎藤八段は藤井竜王名人の勝ち。 増田七段と及川七段は増田七段の勝ち。

2024/01/14 のコメントを読む・書く


15 (月)

%1 げつようび

旧成人の日。 1999 年まで。 この前眺めていた 1996 年度の朝日新聞地域面 (鹿児島) には、1997 年 1 月 15 日に成人式が開かれたというのが (確か翌日に) 記事になっていて、そっか、この頃は鹿児島でも成人の日に成人式をやっていたんだな、と。 今年は 8 日月曜日が成人の日だったが、鹿児島市の「令和 6 年はたちの集い」はその前の 6 日土曜日に行われていた。 奄美大島みたいに都市部との交通の便があまりよくないところだと正月休みに合わせるのはわからんでもないが、鹿児島市は新幹線も開通したし飛行機の便数もとても多いにもかかわらず、連休に合わせるようになったと。

【最新】2022年度・令和4年度 日本の空港旅客数ランキング! | 未来へ羽ばたく神戸空港

東京・大阪・名古屋・福岡・北海道という大都市圏の空港を除くと、沖縄に次いで旅客数が多いのが鹿児島だw 空港は市街地から離れた場所だし、新幹線が開通したので大阪までなら新幹線も良い選択肢だけど、それより遠くになるとやっぱり飛行機を選ぶ人が多くなるんだよな。 とはいえそれは熊本あたりも同様のはずだし、宮崎なんか新幹線すら来ていなくて空港自体は便利な場所にあるのでもっと利用者が多くても良さそうなもんだけどね。 まぁ、やっぱり離島便が多いのも影響しているか。

冬休みに帰省先からもってきたものその 1。 ポンカン。 先週ぐらいには食べきっていたけど。 美味かった。

冬休みに帰省先からもってきたものその 2。 梅をつけたやつ。 まるで紀州の梅干しみたいなおいしい梅。 あと 1 個。

ホンダドリームの点検の連絡はがきの料金別納のスタンプがくまモンなのおもしろいよなと思っていたけど、もしかして熊本にホンダの工場があるのが関係しているのかな。 クロスカブやらジョルノやらにも、くまモンバージョンがあるらしい。 何それかわいい。

2024/01/15 のコメントを読む・書く


16 (火)

%1 かようび

晴れ。 寒い日。 出社した。 風が強かった。 おみやげが増えていた。 弁当を買いにスーパーに行ったら入口に並べられていたみかんをうっかり買った。

原付。 バッテリー (2011 年 12 月中古購入時のもの) はまだ使える... 今日ぐらいの冷え込み方だとさすがにチョークを引かないと最初アイドリングしないし、発進できない。 暖機すればいいと思うけど面倒なので、チョークを引いたまま発進して走りながらチョークを戻す。 方向指示器のスイッチの下にチョークレバーがあるからこそできる小技。

SSH の例のはデータベースが 300 KB を突破しエントリ数は 3858 になった。 攻撃回数的には日によってばらつきがあるが、auth.log の sshd の行はもう 1 日 1 万行は達しないぐらいなので、やはり大部分は期待通りタイムアウトさせられているのだろう。 その中でも未だにちょっと目視チェックをしている間にも接続に来る IP アドレスは、検索すると AbuseIPDB のサイトが見つかり、ChinaNet Jiangsu Province Network で初めての報告が 2023 年 11 月 16 日にあり Brute-Force SSH の報告がたくさんあるようだ。 気づいていないのかわざとなのかもわからんが、わざとだとしても応答が遅い上にパスワード認証を許可していないところに何度も brute-force チャレンジしたって無駄だと思うがなw

2024/01/16 のコメントを読む・書く


17 (水)

%1 阪神淡路大震災から 29 年

とのことだが... 図書館で 1997 年 3 月の朝日新聞鹿児島地域面を見ていくと、1997 年 3 月 27 日の記事に地震の記事が出てくる。 後に鹿児島県北西部地震と名付けられる大きめの地震の最初の揺れが 3 月 26 日だった。 震源は川内市 (当時) だが、記事には鹿児島市呉服町の百貨店の話も... 当時は三越というのがあってだな... たまたま兄者も帰省していてどっか市街地の家電量販店にいた、みたいな話だったような?

ま、この地震は 5 月 13 日に余震みたいなものでさらに大きな震度 6 弱の揺れがあって、宮之城高校の校舎がつぶれる (たまたま校内の授業がなく生徒は巻き込まれなかった) など、そこそこ被害が出た。 当時のこれらの地震では震源地の川内市にある原子力発電所は動き続けていた。

その 3 月 27 日の新聞で驚いたのは、阿久根市赤瀬川に、九州・山口で初の 24 時間営業の大型スーパーである AZ スーパーセンターがオープンして、その初日に地震に遭って約 500 万円の被害になった、みたいなニュースが出ていたことである。 新聞記事には AZ スーパーセンターと書いてあったが現在の公式ホームページでは A−Z という表記になっている。 川辺店が 2005-11-03、隼人店が 2009-03-18 オープンだったらしい。 隼人店しか行ったことはないが、関東で例えるとホームセンターのジョイフル本田みたいな規模で、車もカー用品も売っているスーパー (???) だ。

なお、地震関連で言うと、九州新幹線の博多・新八代間の開業 (鹿児島中央から博多までつながり新大阪までの乗り入れ運転も開始) は 2011-03-12 で、大震災の翌日というタイミングだった。

%2 すいようび

晴れ。 寒い日。 きのうのひんやり冷たい風は今日は静まっていたかな。

在宅勤務。 出社しても在宅でもとにかく乾燥している。 週末は雪っていうから少しは... 雪!?

夜また図書館に行って... 1997-03-26 の、教職員の異動の記事をチェック。 母校の関係はというと... そうだ、この時の担任が下甑島に異動になっている。 下甑島はとても小さな島で、『Dr. コトー診療所』の舞台のモデルでもある。 フルネームは覚えていなかったがその一覧で判明した。 やや珍し目の名字で、web 検索するとその後大隅半島あたりで引き続き教員のお仕事をされているらしいことがわかる... まぁそれはいいとして、次の担任は加治木から異動してきたんだな。 確か 27 歳ぐらいだった。

1997 年は 4 月 1 日から鹿児島市のゴミ出しが透明袋になったらしく、3 月にそのリマインドの記事もあった。 そうそう、その前は真っ黒なゴミ袋で出していたんだよな。 今やあんなゴミ袋はどこでも見かけなくなった。 1997 年の続きの記事はあまりチェックしていないけど、神戸連続児童殺傷事件が発生した頃である... 何となく 5 月頃という記憶だったけど、事件は 2 月から始まっていたんだったか。

あと図書館には週刊文春の最新号もあり。 貸し出し・コピーはできないが、館内で見るだけなら OK だ。 話題のお笑い芸人関連の記事を読んだ。 あの人というかあのコンビはなぁ、記憶にあるのは HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP の印象しかなくて、見ていたのは 2000 年前後ぐらいだからなぁ。 確かまだ高校生の宇多田ヒカルが、テトリスが得意だみたいなのをやっていたのがあの番組だったよな。 音楽番組としては普通におもしろかったと思うし、少なくともゲストのミュージシャンの人達がいやがっているような感じはあまりなかった気がする。 うたばんのほうがだいぶいじりすぎ感あったし、特にアイドルグループについてはw 個性が知れるのでそれはそれでよかったんだけど。

2024/01/17 のコメントを読む・書く


18 (木)

%1 もくようび

晴れ。 やや暖かめ。 週末の雪マークも土曜は雨に変わった。 まぁ来週にはまた氷点下の気温予報が出ているけど。

この前空港で買った鹿児島土産は黒糖餅 10個入 × 3箱だ。 パッケージは「薩摩 黒糖餅」、レシートには「九面屋」(???)、この通販サイトの商品名は「黒糖餅」で製造者は「鹿児島ユタカ」だ。 パッケージデザインが鹿児島っぽいだけでなく、「鹿児島県産黒糖使用」とあるので中身も鹿児島っぽいし、いい感じだった。

整形外科にはもう 2 か月近く行っていないが何とか腰の状態はキープしている。 時々セルフ牽引をやるのがきいているかも。 セルフ牽引ってのは手や腕を使って、手すりか何かを押して体を持ち上げるだけだが... なんかこう体が重力で引っ張られて気持ちがいいなと思って調子に乗ると、結構手が痛くなったり肘が痛くなったりするのでやりすぎには注意だw 昔流行ったらしいぶら下がり健康器でもいいのかも知れない。

首 (肩) のほうも時々痛みが出ることはあるけど何とかごまかせているのでヨシ。

耳鼻科には薬が切れそうなのでそろそろ行かねば。 杉花粉の季節はまだだと思うけど時折鼻が痛かったり目がかゆかったりすることはある。

2024/01/18 のコメントを読む・書く


19 (金)

%1 きんようび

晴れ。 暖かめ。 出社した。

耳鼻科。 いつもの。

朝の薬局は人多め。 処方箋を預けてめがね屋に寄っていこうかと思ったらめがね屋はまだ開店時間じゃなかった。 昼の薬局は空いていた。 めがね屋にも寄った。

朝の通勤路、ビミョーに選択肢があり、それぞれ渋滞スポットがあり、どれを選んでも一長一短、あまり時間は変わらないような? 通学時間帯の通行規制がある区間を避けるので集中するという面はあるが、それにしても東八道路はもうちょっと流れていてほしいけどな。

今の近く用めがねにはめがね屋スタッフも驚くレベルで慣れておりw 度数的に遠く用の +1.0D だから 1 メートルまでしかピントが合わないというのは理屈の上でそのはずだけど、外を歩くときには普通に使えていて。 困ったのはスーパーみたいな感じのお店に入るとどこに何が並んでいるかの表示がよく見えないな、という、そういうのぐらい。 特にお昼を買いに行く / 食べに行く時なんかは、待っている間にスマートフォンを触るから割と近く用のメリットが大きい。

乱視の度数については -2.0D をこえてくると (0 から遠い方向に) 強いという感じの話だった。 自分の乱視は右目は -1.5D で左目は -2.0D だからまあまあぐらい? 角度が 130 度と 35 度というバラバラっぷりなのもやっかい。

ま、しかし今回のめがねはフレームが細身で頼りなさそうな感じもするのに、かけてみると結構しっかりしているなという印象がある。 運転用のめがねもしっかりしているので、前の日常近く用めがねがちょっと柔かっただけかも知れないけど、あれも確か一応チタンって書いてあったんだよな、確か。 そしてバイク運転用の JINS めがねはプラスチックなのでいつ折れるか、と思っているんだけど、その前の JINS が 2 年で折れたのに対して、今のはもう 6 年半も使っている。 MRF-16A-245B だとメモしてあったけど MRF-16A-245 58 が正しい? 検索してみるとメタル芯が入っているのか!? やっぱりそういうのじゃないと長持ちしないのか。

2024/01/19 のコメントを読む・書く


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Hideki EIRAKU