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最新 5 日分


10 (金)

%1 きんようび

テレビでやってた映画『ハウルの動く城』。2004 年の邦画。 スタジオジブリのアニメーション。

前に見た時と同じように、やっぱり終盤はなんだかよくわからなかった。

%2 Formula One

F1 は夏休み期間でいつもならニュースは少ないところなのだが、今年はどうも様子が違うようだ。

まず先週、リカルドがレッドブルからルノーに移籍のニュース。 レッドブル残留が確定的と思われていただけに、衝撃的だった。 レッドブルで記憶にあるのは、クルサードがやめた時の記憶はあまりなくて、ウェバーがやめた年、チームオーダー絡みでごたごたがあったのは印象に残っている。 そしてベッテルが移籍した時、あの年はリカルドに勝てなかったものの、チームからの信頼は今回と同じようにあったと思うけど、比較的スムーズな移籍だったと思う。 まぁチーム代表が言うように、トップチームへの移籍というのは理解しやすいのかも知れない。 今回のルノー移籍は、まぁ過去にトップだったチームではあるわけだが、間にいろいろあったし現在はトップチームではない。 とにかく、これでサインツのレンタル終了が確定的となり、他ドライバーの移籍があるか、おもしろくなってきた。

そして今週半ば、フォースインディアを買収する新オーナーが現れたというニュース。 それが F1 ドライバーのストロールの父 (が率いる投資家集団) だというのがおもしろい。 持ち込み資金によりウィリアムズのシートを得たペイドライバーと言われるストロール、もちろんちゃんとした実績はあるのだが、今のところミスばかり目立って、あまり光る走りは見えてこない。 でもそんなドライバーの父が他チームを買収したとなれば... 当然移籍の可能性が出てくる。 今年のウィリアムズのマシンはあまりにも出来が悪いので、移籍すれば成績は上向くだろう。 そのときに誰がフォースインディアから追い出されるか、誰がウィリアムズに入るか、さらに、今年最下位で終わりそうなウィリアムズの、来年以降の資金調達は大丈夫なのか、いろいろと楽しみだ。

2018/08/10 のコメントを読む・書く


11 (土)

%1 レンタルカート

スポーツカート耐久レース。 御殿場。 テクニカルコース。2.5 時間耐久ナイトレース。2 人チームから参加。 久しぶりのテクニカルコースだがコースが少し変わっていた。 奥の方のヘアピンが急になった? のと、最終のひとつ前のコーナーの入口に段差ができた。

コミュニケーショントラブルにより最初のピットインを伝えられずガス欠になった以外はトラブルの少ないレース。 微妙に霧雨が降っている時が多かったが、土砂降りになることもなく。 暑いというか、蒸してはいた。22 台中 21 位だった。

%2 行き帰り

問題は行き帰りの道のり。 お盆の激しい渋滞のピークとなる今日、よりによって府中から御殿場へ向かおうというのだからむちゃくちゃである。 日本道路交通情報センターの渋滞予測では、高速道路は相模湖 IC からずらりとつながるという予測だった。 それを元に無い知恵を絞り、とりあえずバイクを使うことにして、きのうまでにいくつかの選択肢を検討していた:

国道 20 号は、相模湖駅前からの渋滞が大垂水峠からの下りの道までつながる懸念があった。 前にそんな経験があった。 上野原 IC も国道 20 号の交差点のところが渋滞するのではないかと懸念していた。 しかし道志みちは道志みちで入るところが渋滞しやすいし、城山経由ではプレジャーフォレストに向かう人達の渋滞がありそうな気がしていた。 最終的には今日判断するしかなかった。

というわけで、Google Maps をチェックしたところ、大垂水峠はなんと上り区間 (転回可能区間) までつながっているではないか! こりゃひどい。 城山のほうも渋滞、道志みちの入るところも渋滞だ。 和田峠は大丈夫そうだ。 国道 20 号は八王子あたりまでは順調そうだった。 よし、それで行こう。Google Maps のルート案内では、中央道は 1 時間 24 分の遅れで「軽い渋滞」だとして、東名を行けと出るのだが、いやいや東名もきついでしょう...

バイクで国道 20 号に出たところ、やたら車が多い。 順調だと信じていたのに、日野バイパスの橋の上に車の列ができていた。 ありゃりゃ。 八王子の奥のほうに着くまでに 1 時間が経過... あ、そうそう、八王子警察署が移転していて驚いた。 去年移転していたらしい。 しばらくここ通ってなかったんだな。 藤野行く時も最近高速使うし...

で。 陣馬街道だっけ、あっちのほうに行くと、前はミニバン、後ろはレガシィみたいな車に挟まれて、煽られるのかと思いきや、くねくね道でレガシィはあっという間に離れていく。 ミニバンに途中まではついていったのだが、どう見ても慣れている走り、途中から引き離されて見えなくなってしまった。 木の枝などが落ちていたり水が流れていたりする急勾配の道なので、二輪では無理はできない。 そういう状況で四輪にかなうわけはない。 しかし、その先で初心者マークの SUV ルック車に追いついてしまい、4 台団子になっていた。 相模湖 IC がいいか上野原 IC がいいかは峠を過ぎて適当なところでバイクをとめてチェック。 上野原 IC にはスムーズに行けそうだったのでそうした。

あとは予想外だったのは、都留 IC の出口を目の前にして雨が降り出しやがったこと。 見るからに道路の色が違って見えたので雨かなとは思ったが、本当にばばばっと来た。 すぐ先に PA があるがそんな位置関係は記憶になく、即座に IC を出ることを決断。 その結果、中央道の下で雨宿りという荒技を成功させた。 料金は無駄に高くなっていそうだが仕方がない。

帰りは素直に須走から。 道路情報に雨と出ていたが、幸い降られなかった。 いつも 200km ごと目安で給油しているのに、今回 326km も走ったので、帰る途中で燃料警告灯がついた。 談合坂 SA の手前でついたら少し給油して行こうかと思っていたが、相模湖 IC を過ぎてからつきやがった。13L タンクなので、仮に 30km/l 出ても 400km は行けない計算だ。 なお、30km/l だと 326km は 10L 以上になるが、10L いかないところで満タンになった。 つくば往復も含め燃費が良かったんだな... 給油のために国立府中 IC で降りたら、近くのコンビニ (ファミリーマート国立インター店) が消滅していた。 このあたりは最近も通っている気がするんだけどな... 気づいていなかった。

2018/08/11 のコメントを読む・書く


12 (日)

%1 UNBOXING THE PC/初代 IBM PC 開封の儀〜登壇者 17 名!初期の PC、DOS/V、ThinkPad の担当者たちが語り尽くす〜

なんかおもしろそうなイベントが角川第三本社ビルであるということで行ってみた。6,500 円。 メインは今年発掘 (?) されたという未開封の IBM PC を開けましょうという話なのだけど、それに伴って当時日本 IBM にいた関係者やら、その後の DOS/V、ThinkPad への流れの話をしますよということで、そっちのほうが盛り上がる流れだ。

会場に懐かしの代物がたくさん展示されており、歴代 ThinkPad や昔の雑誌等があったが、PCjr の実物が稼働していたのが興味深かった。 ディスプレイはコンポジットで液晶ディスプレイにつながっていたが、5.25 インチフロッピー... ディスケットドライブは正常稼働でテトリスが動作、PCjr カートリッジと懐かしの JX の拡張表示カートリッジもおいてあった。 キーボードも無線の評判の悪い初期型と、有線の良くなった版があって、有線の端子は JX とは違う四角いやつだった。 会場に知ってる人など誰もいないだろうと思っていたが、元日本 IBM の人が来てた。 そうだった。 元日本 IBM の他の人に○○ちゃんというような感じで呼ばれていた。

最初からうだうだな流れでスタートし、ThinkPad を中心とした IBM のパソコンのデザインの話。 難しくてよくわからなかったがとにかく、アメリカ人はデザインはヨーロッパの人の仕事というイメージで、イタリア人はドイツ人にデザインの仕事はさせたくなくてみたいなのがあるらしくて、でもそのドイツ人がだったっけ? デザインの総括みたいな仕事? をしていて、その人は誰がデザインしてもいいものはいいんだという人だったおかげで、ThinkPad あたりのデザインに日本の IBM 研究所の人達が関わったんだとか何かそんなような話だった。 他にもライオスシステムにいた人の話やら Palm Top PC 110 やらの話もあっておもしろかった。

IBM PC の開封はまぁいいのだが (皆が写真撮るだろうと予想して自分は見てるだけにしてた)、起動テストは失敗。 グラフィックカード (というのかな?) が eBay か何かで入手した動くかどうかわからんやつだとか、ディスプレイもどうだか、100V 50Hz も本当はどうだかわからないけど、とにかく電源まわりが怪しいのではという話になった。 キャパシターが死んでいる可能性もある、という人もいたが、会場で同じくらい古いはずの PCjr は動いていたからどうだか...

キーボードの話。 チコニーの人と元アルプスの人。 バックリングスプリングとメンブレンの話を力説。 さすがメーカーの人だ。 昔はキーボードはたたくようにして使われていたとのことで、今のなでるように (?) 使うのとはちょっと違ったようだ。 バネの作りなんかも板バネがどうのこうのなどいろいろあった。 そこにテラドライブやら ThinkPad のトラックポイントの話も。 キーボードのキーの並びの間隔はピッチというが、横方向のズレはオフセットというんだな。 自分はオフセット 0 のキーボードでタッチタイピングは厳しそうな気がしている。IBM PC のキーボードはカチッと音がするタイプ。JX はカチッという音はしない廉価版タイプ。PCjr の初期型はふにゃふにゃ最安タイプ。 音がするのは押されたかどうかがわかるのがよいと言っていたが、ピアノなんかはカチッとは言わないけど押したのがわかるよねみたいな、ストロークがピアノは深いせいかなみたいな、そんなような話もあった。 そうそう、IBM PC のキーボードは裏にスピーカーが付いている。 確かに PC 互換機はスピーカーの制御がキーボードのポートだもんな。

そして DOS/V の話。JEGA や開発の裏話も。 コンパイルが遅いから待ち時間にゲームしよう、それで報告書も出せるようにしようみたいな話がきっかけって...w VGA で 16 ドットフォント、XGA で遅いけど 24 ドットフォント、V-Text は XGA に 16 ドットフォントで広い画面。VZ という懐かしの名前も出てきたので質問してみた。VZ などテキスト VRAM 直接アクセスが当たり前だった当時のプログラムを全部 BIOS 経由にして性能は出たのか、聞いてみたら 286 は厳しかったけど 386 は実用的な速度が出たと。 そしたら FE FF でしたよねという話が。 何それ? と思ったらどうやら INT 10h に AH=FEh と AH=FFh の拡張があったらしい。 画面全体の再描画用のようだ。 確かに拡張メモリーからフォントを読み出す関係で、連続して読めたほうが都合がいいのだ。 でも部分的な書き換えは別の手段を使っていたのではないかな。 互換性のために JX と同じようなテレタイプ書き込みも使えるけど、実際は VZ みたいなソフトはまとめて書き込むほうの JX にはなかったインターフェイスを使っていたのではないかな。

そして IBM 以外の人達から見た話。 東芝 J-3100 関連であったり、キヤノン販売の人だったり。 東芝は IBM 互換で行くしかない状況だった (?) ようだが、とにかく PC 互換を重視した人達は結構いたってことだなぁ。FMR 的な独自仕様路線は厳しいと。 あのころは日本は NEC が強かったしな。

さて... 懇親会で、JX の開発に関わった人に少し話を聞いてみたのだけど、本当にもろに関わっていたそうで感動的だった。 テクニカルリファレンスの BIOS のコードとかそんな話がわかる人がどれだけいるのか... POST の MFG PORT はパラレルポートに出ていたはずとのこと、ふうむ、そうなんだ。I/O ポート的には全然関係ないところだけど、パラレルポートに出るように配線されていたのかなぁ。BIOS ROM はなんとマスク ROM だったらしい。 ミスがあったら大変なのでめちゃくちゃ緊張したと。 クロックは本当は動的切り替えもできたのにリセットしないとだめになっちゃったとか、最初から速いやつ出せたのに 5550 との競合を避けたとか、5550 の漢字変換持ってくるのがだめと言われてジャストシステムから持ってきたら 5550 より変換性能良くなってしまったとか、なんか小ネタ的な裏話がおもしろかった。 キーボードがあの配列になった理由は謎。 小さいスペースとタブはかわいいでしょとは言っていたけどw 3 段にして HDD まで積んでいたという構成もあったらしい。 自作のエミュレーターを見せたら盛り上がっていたw 基本モードの 80x25 モードで漢字を出すと点滅するのは、あえてわかるようにそういう風にしたんだそうな。

まぁでも JX はハードウェア的には失敗で、ソフトウェア的には BIOS なんかの仕様は後の DOS/V に引き継がれているということらしい。 日本語入力システム用のインターフェイスなど、JX のはいろいろ作り込まれていたもんね。 今日来ていた人達、なんだかんだ言って JX の存在自体は結構みんな知ってる。5.25 インチディスケットドライブを積んで PCjr 向けのソフトを動かそうとするとドライブを入れ替える必要があって、みたいな話も聞いたし、使っていた人も意外といたのかも知れない。PCjr も含めて登場時期も悪かったよな。PCjr のちょっと後に PC/AT が出たことを考えればね。

そうそう、DOS/V の話で、PC/AT から PS/2、あるいは日本での 5550 から PS/55 の流れが、それぞれ結局 PC/AT に戻ったみたいな話があった。 結局はオープンなものが勝ち残ったということなのか。

2018/08/12 のコメントを読む・書く


13 (月)

%1 げつようび

駅や道路が空いてる日。

きのうのやつ: ASCII.jp:奇跡的に発掘された「初代IBM PC」開封の儀イベントを動画で公開

%2 ピカー

14 時半頃だったかな? 職場のあたりは外が暗〜くなってきて、ピカピカ雷が光って、ゴロゴロ鳴りだした。 だいぶひどくなってきて、停電にならなきゃいいがと思っていると、瞬間停電発生。 インバーターのない蛍光灯が点滅したのはもちろん、ディスプレイ代わりにしているシャープのテレビ画面が消え、電源ランプがリモコンでオフにした時の色になっていて、あれ? と思っていると、数秒後に自動的に復活という、絶妙な瞬間停電。 その他の PC 等は UPS なしのものも動作を継続していた。UPS は一瞬鳴ったけど。

そんな感じで、職場は停電しなくて良かったのだが自宅は別だ。

$ last -2 reboot
reboot   system boot  4.9.0-7-686-pae  Mon Aug 13 14:58   still running
reboot   system boot  4.9.0-7-686-pae  Mon Aug 13 14:55   still running

wtmp begins Thu Aug  2 00:16:12 2018

ログを見る限り、2 度落ちたらしい。iMac も全く同じだったし、停電後電源が入る設定にしていないその他の PC は、スリープ (suspend-to-RAM) させていたものも含めすべて電源が切れていたので、瞬間停電ではなかったということだろう。

なお、そんなわけなので先日設定した X Display Manager については期待通りに機能しており、xdm とは異なり wdm はクラッシュせずに動作を続けてくれることは今日確認できた。

2018/08/13 のコメントを読む・書く


14* (火)

%1 こわれた腕環 ゲド戦記 II

読んだ。 『影との戦い』が魔法使いの話に終始したのに対し、『こわれた腕環』では大巫女の話が中心になる。 大巫女は名を持たず、神に仕える。 闇の力が云々。 ということで、『影との戦い』との関連性はひしひしと感じられるが、魔法使いが追い出された世界に魔法使いが登場するというわけである。

『影との戦い』では長々と魔法使いの成長が描かれていた。 『こわれた腕環』では大巫女が誕生し業務をこなしていく様がこれも結構長く描かれている。 長く描かれていることでそれぞれの性格やら人生の背景やらを良く理解することができる。 おもしろかった。

小説なので仕方がないけど細かい描写は省略されている部分もある。 例えば船の上や野宿で排泄はどうしているのか、なんてことには一言も触れられていない。 『影との戦い』では男ばかりだったのでなんかいい加減にすませていたのだろうと想像するが、『こわれた腕環』では男と女になるので少し気になるところ。 時代設定はよくわからないのだけど、火は火打ち石や火打ち金で付け、水はどこそこでくんで運んでくる感じで古そうな感じがする。 地球が平らというのもあったっけ。 あと、女性がスカートを着用している設定になっており、その辺はどこか現代的な感じもするが、ヨーロッパでは軽く 800 年くらいは続いている文化か。

%2 かようび

今日も空いていた。 バスは時刻表通りだし駅ビルの通路もガラガラで通過しやすい。

天気が不安定になるかもとのことで傘を持っていったおかげで、雨は降らなかった。

2018/08/14 のコメントを読む・書く


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